まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「あさえとちいさいいもうと」の思い出

あれは娘がまだ2歳くらいだったときのこと。
絵本をながめるのが大好きだった娘を膝に乗せて、
「あさえとちいさいいもうと」を読んでやっていた。
6歳になるかならないか、くらいだった息子は隣りで絵本を覗き込んでいた。
おはなしが進んで、あさえがじこじこチョークを動かして妹のために絵を描くのに夢中になってる間に、
妹のあやちゃんがいなくなってることに気付く場面になった。
「あやちゃんがいません」という一文を読んだときだった。
弾かれたように息子が立ち上がり、だあっと駆けてどこかへ行ってしまった。
・・・???
突然おしっこでもしたくなったのか?
本が見たくて我慢してたの?
不安そうな顔つきでうろうろと部屋に戻ってきた息子を見てハッとした。
ちがう。
息子はあやちゃんを探しに行ったんだ。
続きを読み始めると、息子は泣き出しそうな顔をして聞いていた。
あやちゃんを探してあさえは町中を駆け回る。
自転車の急ブレーキ。
小さい子供を脅すようにしかる怖い男性。
あさえの恐怖心をあおるようなものが次々に現れる。
でもあさえは必死であやちゃんを探し続ける。
そして、ついに公園の砂場で遊んでいるあやちゃんを見つけるのだ。
「あやちゃんはにこっとわらって、すなだらけのかたてをあげました。」
あさえがあやちゃんを笑顔で抱き上げる絵で本がおしまいになると、
息子ははあーっと大きなため息をつき、
「よかったねえ、あさえちゃん。あやちゃんがぶじに見つかって。」と言った。
 
4年間一人っ子の時期を経験し妹が生まれた息子は、
ずっとおにいちゃんになることを拒否しつづけてるような部分があった。
それが、妹がいなくなって必死で探すおねえちゃんの気持ちを、
自分のこととして生き生きと感じることが出来るようになったなんて。
涙が出そうにうれしかった。
 
本棚の片隅、すっかり古くなったこの本を見るたび、
いつもいつも思い出すこと。