まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

もう少し広い視野で。

わたしが住んでいる町にも、福島からの避難者が沢山住んでいる。
その人たちの大半はお母さんと子供で、お父さんたちを福島に残して避難して来ている。
その人たちを支援する動きがいろいろと広がってきている。
 
先日はわたしも知人に頼まれて、福島からの避難者対象の無料ネイルアートの手伝いに行った。
お母さんたちがきれいにネイルアートしてもらっている間、託児を担当したのだ。
20人以上いるお母さんたちが連れてきたお子さんたちを4人で見たので、
もうてんてこ舞いの大忙しだったけれど、お母さんたちの顔に晴れやかな表情が浮かぶのを見て、
頑張った甲斐があったな、とつくづく感じた。
そういう「無料○○」とか、避難者対象の集会所とか、避難者を支援する体制がどんどん整いつつある。
それはそれで素晴らしいことなんだけれど・・・。
 
なぜ、避難者だけがこんなにも優遇されるのだろうか、という思いがあるのも事実だ。
この町だけに限ったことではなく、日本中で無料の留学とか、
サマーキャンプとか、本当に様々なものが福島の人々だけを対象に行われている。
でも、困っている人は、実は福島の人たちだけではないと思うのだ。
すごく優秀なのにお金がなくて留学なんて夢のまた夢、という子だって日本中にいるだろうし、
単身赴任のお父さんが交通費を考えて家族に会うのを我慢してる家だって沢山あるだろうし、
虐待の一歩手前みたいな状態になって母子で家に引きこもってるお母さんだっているだろう。
(長男を産んだ直後のわたしが、現にそうだった。)
助けてと声を上げる機会もなく、必要とする助けが得られずにいる人たちが沢山いることを、
忘れてはならないんじゃないか、と思う。
福島の人たちの存在を通して、
今まで見て見ぬふりされて来たそういう人たちの存在に気付くべきなのでは、と思うとともに、
福島の避難者だけが一種「特権階級」みたいになっていくことに若干の危機感を覚える。