まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

解約

某証券会社に連絡して、わたし名義の金融商品をすべて解約し、
口座を閉鎖してもらえるように頼みました。
5年ほど前に1、2度連絡しただけの証券会社。
「ただいま、お預け当初に比べまして損益金がございまして…」
電話口の女性の声。
「いいんです、分かっていますから。
30年経っても取り戻せなかったんですから、もういいんです」
「かしこまりました。では、ご解約の上、お口座を閉鎖する
手続きを取らせていただきます」
もっと複雑な手続きや書類などが必要なのかと思っていたけれど、
電話一本、ほんの数分間で全て終わりました。

このお金は、わたしが小学校講師として頑張った1年間に
必死で貯めたものでした。
毎月毎月、10万円ずつ給料から母に渡し、貯金してもらっていたのです。
しかし、当時からお金のことに非常に疎かったわたしは、
預け先も気にせず、ただ母に頼んでしまいました。
それが1989年のこと。
自殺を何度も考えるほど厳しい1年間の対価として得た120万円は、
バブルが弾け、あっと言う間に額面が半額以下になってしまったのです。
「仕方がないでしょ?証券会社の社員だってみんな、
自分たちの給料でこれを買ってるって言われたんだもの。
こんなことになるなんて、誰にも分からなかったんだから」
(どうして元本割れする可能性のあるようなリスキーなものに
わたしのお金を全部預けたりしたの?
これなら「たんす預金」にした方がまだよかった…)
謝罪の言葉一つない母に、
言いたい言葉を飲み込むしかありませんでした。

今も半額以下のままの金融商品
でも、解約して心のつかえが少し取れたように感じています。
解約したお金の一部は、今年秋の母の7回忌と
来年初夏の父の7回忌の坊さんへのお礼に充てるつもりです。