まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

ささやかな楽しみ

毎朝、わたしが楽しみにしていることがあります。

それは、これでご飯を食べること。
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このご飯茶碗は、昨年の春、自治体の職員になった息子が
初めてのお給料で買ってくれたものなのです。

「初めて給料もらったら、お母さんたちに何か買ってあげたいんだけど、
何が欲しい?」
そう息子に聞かれた時、わたしは30年近く前のことを思い出しました。
小学校の講師になってもらった初めてのお給料。
わたしは、それで素敵なカップを5客買いました。
クリーム色の地に、薄いグリーンで花やひも飾りが
口のところに描かれているものでした。
確か、ドイツの窯で焼かれたものだったと思います。
仙台の実家では紅茶やコーヒーを飲むこともあったので、
みんなでお茶を飲む時に使ってもらえたらいいと思い、
下見に下見を重ねて買った品でした。
「あら、きれいだこと、ありがとう」
そう母は言って受け取りましたが、カップは飾り棚にしまい込まれたまま、
使われることはなかったのです。
何年か経った頃、恐る恐る
「あのカップ…気に入らなかったのかな?」と尋ねると、母の返事は
「ああ、あれ、ちょっと大きすぎて使いづらいのよね」とひと言でした。

時は経ち、両親が亡くなってすべての財産を姉が受け継ぐこととなり、
実家を取り壊すことになりました。
するとその時姉から
「あんたがお給料で買ったカップ、あんたんちに持ってって」
と連絡があったのです。
「いや、一旦人にあげたものだから」
と断りましたが、本心はちょっと違いました。
実家に行くたび、使われないまま飾り棚に入っていたあのカップ
見るのが悲しくて嫌だったからでもあったのです。

そんな訳で、息子から「何が欲しい?」と聞かれた時、
わたしは毎日の生活で欠かさず使うものにしようと思いました。

わたしのは薄いピンク、
夫のは薄いブルー。
息子からもらったご飯茶碗を使ってご飯を食べながら、
わたしは離れて暮らす子供たちのことを思います。
今日も一日元気でありますように。
この先もずっと幸せでありますように。
それが、わたしのささやかな楽しみなのです。