まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

WHO KILLED AMY?~「AMY」を観た~

AMY WINEHOUSE(エイミー・ワインハウス)。
この作品の冒頭、14歳だった彼女が親友のために歌った
「HAPPY BIRTHDAY TO YOU」がホームビデオの映像で流れる。
コロコロ笑い転げながら友達とチュッパチャプスを舐める様は、
まさしく「ティーンエイジャー」の典型と言った風だが、
その歌声を聞いてわたしは驚愕した。
それは・・・その歌声が既に大人のジャズシンガーが歌っているかのようなフィーリングと、
ワンアンドオンリー」の輝きとを併せ持っていたから。

2011年、憧れのトニー・ベネットとの共演
(アルバム「デュエットⅡ」収録「Body and soul」)を果たしてほどなく、
たった27年の人生を閉じてしまったが。

彼女はボロボロの人生を、そのまま歌詞に綴り、誰にも真似出来ないやり方で歌い続けた。
有名になり、お金を生み出すようになった彼女にたかり、
疲れ切った彼女に休むことも許さず、全てをしぼり取り貪り尽くした者たち。
それは、彼女が生涯愛し続けた父親であり、薬物中毒の夫であり、
元やり手プロモーターのマネージャーであった。
そして、疲れ切ってボロボロの天才を追い詰め、罵声を浴びせ、
嘲笑ったのは、わたしたち大衆であった。
テレビ番組ではコメディアンが彼女をネタに笑いを取る。
大衆のニーズを受けたパパラッチが彼女をどこまでも追いかけ、
フラッシュの洪水が彼女の繊細な神経をズタズタにする。
憔悴し、錯乱し、常軌を逸して行く彼女。

小柄な彼女を悪意に満ちた目をした人々が幾重にも取り囲み、
みんなで寄ってたかって虐め殺して行く感じ。
もう止めて!と言いたくなったし、
一体なぜなの?とも言いたくなった。

家庭的に恵まれなかったエイミーだが、
実は友人には恵まれていた。
チュッパチャプスを舐めながら大騒ぎしていた親友たちは最後の最後まで親友だったし、
掛け出しだった頃のマネージャーはクビになってからもずっと、
彼女を遠くから見守り続け、いざと言うときには支え続けた。
それなのに・・・。
彼女は父親と薬物中毒の夫とに自分を投げ出し続けたのだ。
自分を文字通り食い物にし続けた、二人の男たちに。

彼女の唄声はパワフルだったが、彼女自身は弱い女性だったのだ。
それはまるで、夫に裏切られようと、娘が道を踏み外して行こうと、
決して「ノー」と言えなかった彼女の母親そのもの。
彼女には自分の足できちんと立っている女性の見本が居なかったのだ。
「わたしは母親に母親らしいことをしてもらった覚えがない」
映画の中で彼女の母親はそう言っていた。
ネグレクトの連鎖。
性的搾取の連鎖。
エイミーはそういう混沌とした世界の中で弄ばれつつ、
自身の姿を歌詞にし、曲を付け、歌い続けたのだ。

映画の中でとても印象的だった場面がある。
それは、グラミー賞の発表の場面。
ノミネートされてもさほど嬉しそうでもなかった彼女が、
トニー・ベネットの口から受賞者として自分の名が呼ばれるのを耳にした途端、
「信じられない!」という表情を浮かべ、喜びを爆発させたのだ。
大好きな人、憧れの人、雲の上の存在としか思えない人から、
自分の名前が呼ばれるなんて!と言う純粋な喜び。
彼女は名声や富を喜べる人ではなかったのだ。
そのことが、一層悲劇的な結果を招くことになったのだが。

「自分の好きなように音楽が出来る自由が欲しい」
印象的な光を放つ大きな目をキラキラさせながら語っていた20歳の彼女。
それからわずか7年後、心臓発作でベッドで亡くなり、
死体袋に入れられて自宅から運び出されることになろうとは。

映画を見終わってとても辛い気持ちになった。
彼女はまるでマイケル・ジャクソンみたいだ。
マイケルだって、パパラッチに追いかけ回され、人々のゴシップネタにされ、
自分をすり減らし続けた挙げ句亡くなってしまった。
ずっと変態扱いしていた人々が、亡くなった途端に一転して、
「チャリティに〇億円も投じていた」とか持ち上げて。
神に愛され、溢れるほどの才能を授けられていたのに。

マイケルと言い、エイミーと言い、親子関係に問題があった人ばかりだ。
子供の頃、親からきちんと愛情を与えられなかった人は、
多分心の肥料が足りないまま大きくなってしまうんだろう。
だから、心の根っこがちゃんと育たず、大きくなった自分を支え切れなくなって
人よりずっと早く倒れてしまうことになるんだろう。
親って本当に本当に責任重大なんだな・・・。

わたし、きちんと母親だっただろうか?