まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

日本のアニメーションの凋落の原因を考えてみる~「ズートピア」を2回みて~

公開中のディズニーのアニメーション「ズートピア」は、
公開開始から6週後の今も、興行成績の1位を独走中らしいです。

わたしは、大学でビジュアル・デザインを学びたいと言っている娘と一緒に、
公開初日と昨日の2回見てきました。

・・・す、す、すごい!
これぞエンターテイメントの王道!
しっかりとしたキャラクター設定、
笑いあり、スリルあり、感動あり、問題提起あり、
さらにたくさんの伏線もありつつ、それをすっきりときれいに回収し、
見終えた後爽やかな気持ちにさせてくれる優れたストーリー、
場面、場面にマッチした音楽、
キャッチ―な劇中挿入歌、
そして信じられないくらい美しいビジュアルと、
「全方向全くのスキなし!」と言いたくなる作品でした。

まあ実際のところは、娘と二人、キツネのニック・ワイルドのあまりの素敵さ、カッコ良さに、
キャーキャー言いながら帰って来たのですが

それに引き換え・・・小粒感が否めない近年のジブリ作品(まあ、新作はありませんが)やら細田作品と、
「大きなおともだち」人気を当て込んで量産されている美少女アニメくらいしかなくなってしまった、
日本のアニメーションの凋落ぶりはどうでしょうか。

そう言ったものと、「ズートピア」とを比べてみて感じることは、
最近の日本のアニメーションにおけるストーリー軽視の風潮です。
多分その原因は、
きちんとしたストーリーを構築する力を持った人が、
アニメーション作りに加わっていないことにあるのだと思います。

いつぞや、日本の若手アニメーターたちを紹介する番組が放送され、
それを見たのですが・・・がっかりしました。
皆さん絵は上手かったです、本当に。
「俺、絵、上手いッスよ」と豪語してる人もいましたが、確かに絵だけは上手かったです。
でも、それだけ。
ほんの数分の作品の中に、伝えたいことをきちんと盛り込み、
見ている側に伝わるよう完成出来たものはほとんど無かったように感じました。

「他人に心を閉ざしている少女」と言う主人公を設定したアニメーターが何をしたと思いますか?
ネット上に無数に公開されている画像を検索して、
それっぽいポーズの少女の画像をダウンロードして素材とし、
それを自慢の腕でちょちょいのちょい!とキャラクター化して、
「俺ってチョー絵うめえなあ」ですよ。
その主人公をありがちな(使い古しの)ストーリーに沿って動かし、
それっぽい背景とそれっぽい音楽をくっつけてハイ、一丁出来上がり!

それは、一見雰囲気のある良く出来た短編アニメーションでした。
でも、その内容はと言えば、いかにもPCのモニターを通して得た知識だけで描いた、
空々しい世界でしかありませんでした。
だから、主人公に感情移入することが出来ず、
見ている側の気持ちが動くことも全くない。
もし、誰かの新曲のPVだとしたら、及第点のレベル。
でも、一つの独立した作品として見たら、お世辞にも及第点とは言えないレベルだと思いました。

ズートピア」を見てみんなが感動するのは、
女性だから、ウサギだからと差別されても屈することなく、
「この世界をよりよいものにするために」と努力し続けるジュディを応援したくなったり、
「ズルいキツネ」のイメージ通りに詐欺師として生きてきたニックが、
実は非常に純粋でまっすぐな気持ちを持った優しいヤツであるにも関わらず、
そのキツネのイメージがゆえに幼い頃他人にひどく傷つけられた過去を持っていることに、
胸を締め付けられそうになったりと、
キャラクターたちに感情移入出来るからです。
そうでなければ、いくらディズニーの技術力ですさまじいCGを見せられたところで、
「へえ、それで?」になってしまいます。

「へえ、それで?」
そう、最近の日本のアニメーションは「へえ、それで?」な作品が多いのです。
美少女たちがすさまじい戦闘シーンを繰り広げています、すごいでしょう?
「へえ、それで?」
さあさあ、親子の情ですよ、ここで感動するところですよ。
「へえ、それで?」
確かに映像技術は進歩しているけれど、
それがアニメーションという虚構の世界であることも忘れて夢中になって入り込むことが出来ず、
ただただ「へえ、それで?」と白けた気分にさせられます。
ストーリーがただの絵空事のレベルから抜け出せていないからこそなのだと思います。

ズートピア」のエンドクレジットを見たら、
「Story by」のあとに7,8人の名前が出ました。
それだけの人たちがブレインストーミングしながら、
ストーリーを練りに練ったからこその作品なのですね。

うーん・・・。
宮崎駿級にたくさんの「引き出し」を持った人はなかなか現れないのかも知れないけれど・・・。
かつて寺山修司は「書を捨てよ、町に出よう」と言いました。
現代なら、「PCやスマホを切れ、町に出よう」でしょうか。
何にせよ、まずは生身の人間と深く関わるところから始めた方が良さそうですよ。