まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

今日の「あさが来た」に感動!~女性が学ぶ必要性を再確認しました~

「俺が東北大学で勉強していた時におなごの学生が数人居たんだ。
そいつらがまた・・・おなごらしさのかけらもないの!
見た目だけでなく言うこと為すこと全部めんこくねえって言うか、何と言うか。
だから、俺はあんたが大学さ行くのには反対だ。
おなごは短大だけ出れば十分。
あとは嫁に行け」
今を去ること33年前、高校後の進路として「4年制大学に行きたい」と言ったわたしに、
高校の教師だった父が言ったことです。
「音楽の道も諦めたのに、そんなことを言うの?
成績だって悪くないんだよ、数学の成績だけは悪いけど国語や英語の成績はかなりいいから、
文系の学部なら東京の一流私大に十分入れるって先生に言われてるんだよ、
それでもダメなの?」
親に口答えしてはいけないと言われてそれを忠実に守っていたわたしが
珍しく必死で食い下がっても父は
「お前を家から出すのは嫁に出す時だ。
それまでは家からは出さないからな。
以上!」
と、一方的に話を切り上げてしまったのです。

まあ、その後怒鳴られたりいろいろあった末、仙台にある超マイナーな国立大学に進んだのですが、
またその後紆余曲折あって結局は専業主婦になった訳で。
社宅の同世代の奥さんたちはほとんどが高卒の人ばかり、
しかもあまり賢くないお子たちが通う高校を出た人が多かったのです。
それでも、社宅の奥さん社会では十分だという事実が結構悲しかった・・・。
下手にいろいろな勉強をして、いろいろなことを考えるようになっていたのもあって、
わたしはどこに行っても変人で扱いづらいヤツという扱いを受けたのです。
「おとうが言ってたことはあながちハズレではなかったのかもな。
ただの専業主婦になるんだったら、法律学だの心理学だの別に要らなかったのかも知れない。
頭でっかちになった分苦しくなってしまったのかも」
そんな風に感じるようになったわたしは、一時期
「主婦になるだけなら高校を終わってから花嫁修業をした方がいい」
とさえ思っていたのです・・・バカだったなあ。
きっとあささんに叱られてしまいますね。

今日の「あさが来た」は快刀乱麻を断つがごとく、
なぜ女性にも男性と同じ高等教育が必要かという問いに答えを提示してくれました。
それは、女性が「家」の中に閉じ込められ、その中で孤立してしまわないようにするため、
社会とつながる術を身につけるために必要なことなのだ、
そして、「家」と「社会」とを身軽に行き来出来るような女性が増えることが、
ひいては「家」にも「社会」にも有益なことなのだと。
女子大学設立に奔走するあさの姿に懐疑的だった姉のはるは、
その言葉にかつて大店の奥に閉じ込められ孤立していた自身のことを思い出してハッとするのです。

一応二人の子供を曲がらずに育てた今、
50年ほどの人生を振り返って「大学へ行っておいて本当に良かった」と思います。
大学時代、賢人A教授はいみじくもこうおっしゃいました。
「大学の4年間は短い。その中で学べることなどほんのわずかです。
君たちが大学で身につけるべきものは、『学ぶ方法』です。
それさえ身につけることが出来れば、
学びたいと思ったときに学びたいと思ったことをいつでもどこでも学べるのですから」と。
その言葉がどれだけ大切なことを教えていたのかを、
わたしは育児や介護の経験を通して痛感することになりました。

「国立大一本で受験しろ。
滑り止めに地元短大を受けるなどという卑怯な逃げ道を作ることは許さん」
父にこう言われて「もうダメだ」と絶望していたわたしを助けてくれたのは、
意外なことに母でした。
「わたしが短大の入学金は出してあげるから受けなさい。
秘密のお金から出すから安心して」
母自身、大学進学を先生から勧められたのに、
親の許可が得られず断念した女性だったからだったのだと思います。
(毒母だったとは言え、感謝すべき点には感謝しなければいけませんね。
まあ、感謝すべき点も多々あったと思えばこそ、晩年病院の付き添いをしたりしたんですけどね)

「あさが来た」は、本当に素晴らしい!!!
脚本を書いている方の深い哲学を感じます。
ドラマを見ている人達に知ってもらいたい!考えて貰いたい!
という強い意思も感じます。
ウケるドラマ、視聴率が取れるドラマばかりの昨今、
そういう番組は稀有な存在だと思います。