まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

50歳を目前に、「わたし」を再構築する作業中です

「わたし」を再構築、なんのこっちゃ。
これでわたしが15、6歳なら立派な「中二病」ですね。

わたしは病院で「複雑性PTSD」と診断されています。
災害など、ショッキングな出来事を一度経験しただけで起こるPTSDと違い、
虐待など、長期にわたって加えられた複数の原因で起こったPTSDです。

今、こうして偉そうにブログなどつづっておりますが、
現実のわたしはひと皮むけばとても空虚な人間です。
「虚無」と言ってもいいくらい。
子供の頃のことも、結婚してからのことも、
全て自分の人生だと言うのに、実感がないのです。
まるで虫に食われてボロボロになった本のように、
全く思い出せないこともたくさんあります。
普通なら、一生忘れるはずのないような大きな出来事も、
すっぽりと記憶から消えてしまっているのです。
覚えている部分も、まるで誰かの人生のアルバムを、
傍観者として眺めているようにしか感じられません。
「嬉しかった」「悲しかった」・・・、そういうリアルな感情が
全く伴わないからなのだと思います。
リアルな感情が伴わない、というのは、
実は実生活に於いても同じです。
息子が県下トップ校に合格した、
娘のイラストが子供向け新聞の連載小説の挿絵として採用された、
息子や娘から「いつもありがとう」と書いたカードをもらった・・・。
普通なら嬉しくてたまらないはずなのに、
わたしは何も感じることが出来ません。
ただ、「ああ、そうか」と思うだけ。
そして、「こういう場合、母親は大いに喜ぶべきだろうな。
大袈裟過ぎず、適度に喜びを示すためにはどう言えば言いだろうか」
と言うようなことを素早く考え、考えた言葉を口にします。
何故か、笑顔でその言葉を言っている自分を自分の横から見ているかのような感じがあり、
その映像がその場の記憶と一緒に定着してしまうのです。

一層なんのこっちゃ、と言う感じですよね、これって。

こう言うおかしな感じは、わたしが「解離」というものを起こしているかららしいです。
(ちょっと危険ではありますが、多重人格のようなもの、
と言えばどなたにも分かりやすいでしょうか)。
怒りとか喜びとか、そういうものをあらわにするたび、母や姉からひどい目に遭わされた、
そういう経験が積み重なったことによって、
わたしは意識からリアルな感情を全て切り離してしまったのです。
でも、あくまでも「切り離した」であって「捨て去った」ではありません。
わたしの無意識の世界に押し込められた者たちは、
主に就寝中出てこようともがき苦しんでいるようです。
わたしの意識は全く夢を見ないように感じていますが、
朝起きると自分の指の跡がくっきりと反対側の腕に
アザになって残っていることが時々あります。
自分自身で肘の関節を反対に折り曲げようとしてしまい、
朝起きてみると肘が腫れてしまっていることもあります。
(以前「テニス肘」と整形外科で診断されていたものの原因は、
実はこういうことだったのです。)
わたし自身は悪夢を見たとも何とも感じていないのですが。

今、1週間に1度のペースでカウンセリングに通い、
自分を再構築する作業をしています。
直視するのが恐ろしくて考えることすらしてこなかった事柄に向き合い、
冷静に見つめ、分析し、納得のいく答えを導き出す・・・。
それは、わたしが何より苦手としている「片づけ」の作業とそっくりです。
山と積まれたごちゃ混ぜの荷物を、きちんと分類し、
ラベリングし、きれいに棚に納めて行くような感じ。
意外なことに、実生活の「片づけ」は苦手なのに、
頭の中身の「片づけ」はそんなに苦手ではないようです。

それがどうにか終われば、わたしは本来のわたしとして、
きっとリアルな感情も取り戻すことが出来るのだと思います。
「もう50歳になろうとしているのに、今更何やってんだよ、お前。
そんなことやったって、人生どうにか出来るだけの時間ももう残ってないじゃないか。」
「怒り」担当らしいものの声がそうささやいて来るけれど、
わたしはこう答えます。
「そう思う?でも、やってみなくちゃ分からないでしょ?」

一歩ずつ一歩ずつ、
たとえ遅々とした歩みでも前進し続けようと思います。