まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

昔の自分と向き合う決意がやっと固まりました。

昨年末から久しぶりにカウンセリングにかよっています。
今回は週1のペースで、相当長い時間がかかりそうです。

わたしは実母と実姉に虐待されて育ちました。
まだ幼かった頃から、「いけないお手々はどのお手々かしら?」
「いけないこと言ったお口はどのお口かしら?」と言いながら、
母はわたしの手や口をひねり上げていたのですが、
わたしの心を何より傷つけたのは、
わたしを折檻するときに母の顔に浮かんでいた薄笑いでした。
「ああ、お母さんはわたしのことをいじめて楽しんでいるんだ」
そう感じるたび、自分の足元に真っ黒な穴が開いて、
その中にすぅーっと吸い込まれていくような奇妙な感覚に陥ったものです。
泣きながら謝るわたしを押入れや、カマドウマが蠢く物置きに押し込めるときにも、
外国での演奏旅行がかかっていた大事なオーディションに落ちてしまったわたしに、
「受かるなんて思ってたわけ?」という言葉を投げつけたときにも、
母の顔にはいつも薄笑いが浮かんでいたのです。

6歳違いの姉は、母よりもっと酷かったです。
いや、姉は母の心を読んで、
代わりにわたしを酷い目に遭わせていたのかもしれません。
「3年前にお母さんが流産した子さえ生まれていれば、お前なんか生まれて来なかったのに」
「お前みたいな可愛げのない妹が生まれると分かってたら、
お母さんに弟が欲しいなんて言わなかったのに」
「お前が生まれて来たこと自体が間違いなんだよ」
事あるごとに姉に投げつけられた言葉は、私を生きていては申し訳ない気持ちにさせました。
「頭が悪い」「不細工」「太ってる」「音痴」「絵が下手」「性格が悪い」・・・。
わたしのあらゆるものが姉に全否定されました。
6歳も年が離れていたためにどうしても口ではかなわなかったわたしが、
あまりのことに我慢出来ず姉に打ってかかると、
倍返しどころか、10倍にもなって暴力が返って来ました。
髪を掴んで床を引きずられたこともあります。
でも、泣いたり叫んだりすることは出来ませんでした。
声を聞きつけた母が無言で2階へ上がって来て、
手にしたすりこ木で姉をぶちのめすからです。
「ごめんなさい、ごめんなさい、もうしませんから!」
悲鳴のような叫びを上げ、自分をかばおうとする姉の手を片手で押さえつけ、
母は鬼のような形相で無言のまま姉に打擲を加えるのです。
そして、ひとしきり姉を打つと無言のまま階段を降りて行くのです。
その後に待っていたものは、姉による一層ひどい暴力でした。
「泣いて親を呼びやがって。あんたのせいで、あたしは酷い目に遭ったんだ!」
暴言と暴力の嵐。
姉に打ってかかる訳に行かないわたしは、自傷に走りました。
柱の角に自分の頭を激しく打ち付けるのです。
最初こそ驚いて止めようとした姉でしたが、
そのうち「もっとやれ、もっとやれ、このバカなチビ!」と手をたたき、
笑いながらその様子を眺めるようになりました。
「もう死んでやる!」そう思いながら頭を打ち付けるものの、
わたしは死ぬことはおろか、気絶することすら出来ませんでした。
「バカなチビめ、どうせ死ねないくせに!」
捨て台詞を残して姉が隣の部屋へ引き上げたあと、
わたしはジンジンする頭と、傷ついてうずく心を抱えて声を上げずに泣くことしか出来ませんでした。
そのうち、階下から母の声がします。
「お茶だから下りて来なさい」
泣いていたと母たちに知られたら、また後でどんな目に遭わせられるか分かりません。
わたしはどんなことをされた直後でも、何食わぬ顔をして階段を下り、
テレビを見て笑い、お茶を飲む術を身につけました。

姉と母とは心理学で言うところの「自己愛性人格障害」なのだそうです。
そんな二人と、一時期は父にまで酷い目に遭わされて育ったわたしは、
トラブルを避けるために姉と競合する音楽の道を早々に諦め、
親の言う通り東京の私大への進学を諦め、
小学校講師になっても人間が恐ろしいわたしに上手く務まるはずもなく、
「ダメ人間」のレッテルを貼られ、大学の同級生だった夫と24歳で結婚したのです。
でも、その夫もまた、DV家庭で育った人だった・・・。
長男が幼かった頃、ほんのちょっとしたことで怒声を上げ、
長男をぶっていた夫を前に、わたしは自分の足元に真っ黒な穴が開き、
その中にすぅーっと吸い込まれるような感覚をまたしても何度も味わうことになりました。
本当なら、「何するの!」と長男を守らなければならなかったのだと思います。
でも、圧倒的な姉の暴力にさらされる日々の中、それにひたすら耐えることしか学ばなかったわたしは、
夫の息子への暴力もまた、ただ収まるのを待つことしか出来なかったのです。
ますます無力感だけが募りました。
その一方で、「わたしだけでもしっかりして、子供のことだけは幸せに育てなければ」
という思いを強く強く抱いたのです。
夫が仕事人間で家庭にほとんど居なかったのを幸い、
わたしは息子と娘を育てることに全力を注ぎました。
それが上手くいったのかどうかは、正直言ってよく分かりません。
それが本当に分かる時には、多分わたしは年を取って死んでいるのだと思いますから。

息子を生んでからもうじき21年。
娘もこの春から高校3年生になり、進学のため家を出るまで1年になります。
わたしの子育ての日々ももうすぐ終わり。
その後、また夫と二人で暮らさなければなりません。
「いや、そんなの、絶対にいや!」心の中で小さな声がします。
今のままのわたしで、夫と二人暮らしに戻るのだけはまっぴらごめんです。
ですから、わたしは、カウンセラーの先生の力をお借りして、
昔の自分と向き合わなければならないのです。
EMDRもやがて受けることになるでしょう。
認知行動療法も併用することになるでしょう。
「もう50歳近いのに、いまさらあんたの人生なんて、どうでもいいじゃない?」
そんな小さな声も心のどこかから聞こえて来ます。
いつも何か行動しようとするときと同じように、
猛烈にアクセルを踏もうとする自分と、負けまいとブレーキを踏もうとする自分とが、
心の中でわたしを引っ張りっこするのです。
でも、わたしは、今回は決然として進もうと思います。
今回を逃したら、わたしは一生母と姉との犠牲者のままだからです。

長文にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。