まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

3歳のわたしを慰めに行った話

10日ほど前のこと。
久しぶりにカウンセリングを受けに行った。
原因は顎関節症と腕のアザ。
歯ぎしりのひどいわたしは毎晩マウスピースをして寝ているのだけど、
それに穴が開いてしまうほどひどく歯ぎしりするだけでなく、
就寝中自分で自分の腕の関節を反対に折り曲げたり、
腕に指のあとがくっきりとアザになって残るくらい握りしめたりしてしまい、
痛みで夜中に目を覚ますようになったから。

どうしてわたしが自分で自分を痛めつけるのか。
「仕事をするな」と夫に言われたのに仕事を始めた自分、
専業主婦なのに家事が苦手で片付けが出来ない自分、
そういうダメな自分をどうやら自ら罰していたようなのだった。
そして、結婚前は母や姉、結婚後は夫に唯々諾々と従わなくてはならないと思い込み、
その結果が現在の状態(わたしは夫に何も言えないのだ)につながっているのだと、
カウンセラーの先生は言った。
「『自分でなりたい自分』じゃなくて、
『誰かに求められている自分』じゃなきゃダメ、
そういう自分でなければならないと思い込まされたからよ。
・・・覚えてる限り昔のことで、
『言いたいことが言えなくてひどい目に遭った』と思うことはなに?」
それで、わたしは3歳頃の「腐ったプリン事件」の話をした。

それは、母に連れられて行ったよその家で出されたプリンが実は腐っていて、
それを母に無理やり食べさせられたわたしが、
後で嘔吐や下痢でひどい目に遭った、という話。
ひと口食べて「変な味がする」と思ったので食べずにいたわたしを、
その家の人がお茶の葉を換えに席を立った隙に母が
「食べなさい。食べなかったら・・・あとでどうなるか、分かってるんでしょうね?」
と脅したのだ。
「あとでどうなるか」の恐ろしさが身にしみていたわたしは、
腐ったプリンを黙っておとなしく食べたのだった。
高校生だった頃だろうか、母にこの時のことを恨みがましく話したことがあった。
母は笑いながら、
「変な味がする、なんて言うからよ。
腐ってるって、ちゃんと言えば良かったのに。
第一、わたしはプリンが嫌いなんだから仕方ないでしょ」と言っただけだった。
「腐っている」という単語を知らないくらい、幼かった自分が不運だったのだと、
黙るしかなかった自分が一層悲しかった。

この話を聞き終えると、先生はちょっと目に涙を浮かべていた。
「大人になってるあなたは、3歳だったあなたをどうしてあげたい?」
「出来るはずはないと分かってはいるんですけど、
もしもタイムマシンがあったら、あの日のわたしを助けに行きたいと、
母親になった頃からずっと思っていたのです」
そう答えたわたしに先生は、
「じゃあ、助けに行きましょう、今、すぐ!
目をつぶって、45年前に走って行きましょう!
さあ、足をもっと速く動かして、急いで、急いで!」
そして、先生はあの日のことを強く思い浮かべるように言った。
「さあ、着きましたよ。
3歳のあなたに、何て声を掛けてあげる?」
「そのプリンはダメになってるんだから、食べちゃダメ!って言います」
「そうね、食べちゃダメよね。
お母さんは隣りでどうしてる?」
「『何よ、一体あんたは何者?』って感じの、怒った顔をしてます」
「お母さんには何て言おうか?」
「ごめんなさい、でも、そのプリンは腐ってて、食べたらあとでお腹を壊すんです。
お嫌いなのは知ってますけど、ひと口でいいから食べてみてください、
わたしがウソを言ってないことが分かるはずですから」
「お母さんはプリンを食べた?」
「スプーンの先でちょっとだけすくって食べました」
「それで何て?」
「『あらやだ、ホントにこれ腐ってるわ。もう食べないで』って言いました」
「3歳のあなたはどうしてる?」
「びっくりしたような顔をして、わたしと母を見てます」
「3歳のあなたに、あなたが誰なのか教えてあげて。
・・・どう?何て言ってる?」
「疑り深そうな顔をして、『そんなのウソに決まってる。だって、どうやって来たの?』って」
「安心させてあげて」
「『45年経ったらタイムマシンが出来たから会いに来られたの』と言ったら『そうなの』って」
「そろそろ戻りましょう。最後に何て言ってあげる?」
「『安心して。もう大丈夫だからね。』って言いました」
「もうお別れよ。何かしてあげて」
「ギュウってされたりするのは怖がるので、頭をなでました」
「頭をなでられた3歳のあなたはどんな様子?」
「ちょっとだけニコッとしました」
「そう。じゃあ、元に戻りましょう。
さあ、また足を速く動かして、45年後に走って走って戻るのよ。
さあ、もっともっと速く、速く!
・・・おつかれさま、お帰りなさい!」

実際には、もっといろいろなことがあってこの「タイムマシン」に至ったのだけど、
ザックリと書くとこういうことになる。
EMDRと呼ばれる、眼球を動かしながら記憶をたどる作業などもこの前に行った)
「なんのこっちゃ、こんな子供だまし。
こんなアホくさいことして、一体何の役に立つものやら」
と思われる方も多いことだろう。
でも、先生に「おかえりなさい!」と言われた瞬間、
わたしの目からはすさまじい量の涙が滂沱として流れ落ちたのだ。
そして、その涙と一緒に、45年に渡って抱き続けて来たあの日の辛さが、
「Wipe off」されたように感じられたのだった。

3歳のわたしに会いに行ったあと、
59歳のわたしにも会いに行ったんだけど、
その話はまた今度。