まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

パタゴニアに住んでいた裸族の話から考えたこと

ひょんなことから、チリ南部の「パタゴニア」と呼ばれる辺境の地に、
かつて裸族が住んでいたことを知った。
南半球のチリでは、南に行けば行くほど極地に近づき、
天候は厳しさを増す訳で、当然最南端部の「パタゴニア」は、
風速60メートル/秒にもなる暴風と極低温の地。
そこに、裸で暮らしていた人々がいたとは!
その恐ろしい不毛の地で、人々はカヌーに乗り、櫂でカヌーを漕ぎ、
魚やアザラシを獲って暮らしていたそうだ。
アザラシから採った獣脂に灰を混ぜたものを全身に塗っただけの、
本当に上から下まで一糸まとわぬ姿で殆ど過ごし、
本当に寒い時だけ(日本人の感覚なら、一年中本当に寒いのだが)、
裸の上にグアナコ(リャマみたいな動物)の毛皮を巻きつけるだけで。
60メートルもの暴風にも負けず、カヌーを漕いで漕いで、
(「だって、漕ぎ続けなければ死んでしまうんだからね、
漕ぎ続けるしかないでしょ?」と、幼少時裸族の暮らしを経験していた老婆は言っていた)
チリ最南端にある群島を渡り歩きながら暮らしていた人々。
しかし、遂にヨーロッパからの入植者がその地へもやって来ると、
彼らの生活は暗転する。
「不道徳な上、不健康」と裸で過ごすことを禁じられ、
彼らの持ち込んだ古着を着て暮らすようになると、
古着にくっついて持ち込まれたウイルスに冒されたり、
服を洗濯せずに着続けたことによって衛生状態が悪化したりして
(まるきり裸で過ごしていた裸族には、そもそも「洗濯」という概念がなかった)、
裸族たちは続々と病に倒れ、死んでいった。
残った者たちは、ヨーロッパ文明の手痛い洗礼を受けた数多の先住民たちと全く同じ道、
すなわち麻薬やアルコールに溺れて廃人同様になると同時に、
元々持っていた文化まで失い、あらゆる意味で「無」になってしまったのだった。
今では、純粋に裸族の血を伝えている人はほんの数人になってしまったと言う。

幼少時裸族としての生活を経験し、彼らの言葉を伝えている老婆が印象深い話をしていた。
彼らの言葉には「神様」も「警察」もなかった、と。
あれだけ厳しい生活の中で、裸族たちは生きるだけで精一杯だったのだと思う。
カヌーで群島を巡り、焚き火にするわずかな流木などを集めつつ、
魚やアザラシを獲って食べ、短い人生の間に出来る限り沢山の子をなし、
次の世代に命を渡して死んでいく。
そのシンプルな生活を送るだけで、ギリギリだったのだろう。
そして、それこそが、元来人間が送っていた生活だったのかもしれないな、と思った。
「何故生きるのか」などという疑問を抱く暇もなく、
一瞬の油断が命を奪うような毎日の中、
彼らを生かしていたものは「神」ではなく、「自分自身」であっただろう。
すなわち、暴風に負けずに櫂を動かし続けることが出来る強い腕、
雨に濡れて急激に体温を失っても焚き火に当たりさえすれば温もりを取り戻せる身体、
そして、どんな嵐の中でも方向を失うことがない感覚、
そういうものだけが頼りの生活。
そういうあまりにも厳しい生活の中には、
盗みや信仰と言ったものが入り込む隙間はなかったのだろうと思った。

それにしても。
CIVILIZATIONって一体何なんだろう・・・。