まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「死」に惹きつけられる風船のように~高校3年女子嘱託(?)殺人事件~

伊勢市で高校3年の女の子が、
親友の男の子に殺された事件。
スーパームーンの夜に、自殺願望が強かった少女が、
恋愛小説の聖地で殺された、と聞いて、わたしは
「ああ、その子は自分の人生を悲劇のヒロインとして
全うしたかったんだな」と思ったけど、夫は
「死人に口なし。絶対ウソだ、そんなの」って言ってた。

今朝、テレビを見てたら、どうも本当に「嘱託殺人」だったようで・・・。
親友だった男の子に「殺して欲しい」と頼んだ(ということにしておく)女の子は、
・成績はクラスでトップ
・真面目でおとなしい性格、委員会活動なども熱心に行っていた
・自己評価が非常に低く、「生きづらさ」を訴えていた
・「自分は他の子たちと違う」という思いと同時に、集団への馴染めなさを訴えていた
・趣味は読書
という子だったとのこと。
「成績はクラスでトップ」というところを除けば、
高校生だった頃のわたしのことか、これは?!と思うくらい、
ものすごいデジャブ感がある話だったから、
わたしは「さもありなん」と感じたんだと思う。

あの頃のわたしの日記には、
「わたしは『生きること』にどうも向いていないようだ」という趣旨のことが
連日書かれていたなあ、と思う。
みんな同じ制服を着て、同じような髪型をして、同じようなカバンを持ち、
同じようなノートに、全く同じ内容のことを書き写して、
「集まれ」と言われれば集まり、「黙れ」と言われれば黙り・・・。
それだけで、飽き飽きするくらい「同じ」だと思うのに、
みんなと同じような本を読み、同じテレビ番組を見て、同じアイドルを好きになり、
同じ映画を見て、同じ言葉で話し、同じ字体で書かなければ「変人」のレッテルを貼られた。
「みんなが分かってくれなくたって、あなたの良さを分かってるよ」
そんな風に言ってくれる家族、
または言葉にしなくてもそういう気持ちが伝わって来る雰囲気の家族の中で育てば、
追い詰められることはなかったのかも知れないなあ、と
およそ半世紀生きて来た今は冷静に思える。

生きていても何一ついいことがない、としか思えない人生、
そんな自分にたった一つしてやれることと言ったら、
それは、そんな惨めな自分の人生を美しく終わらせることだけだ、と
夢見がちな少女は考えてしまったのだろう。
誰よりも自分を理解してくれる親友の手で、
苦しまないように、ひっそりと静かに。
そんな二人を見ているものは、今年1番大きな月だけ・・・。

自分の書いた小説の中でだけ、やるべきだった。
自分の1番の理解者であった18歳の少年に、
一生背負い続けなければならない、重い重い十字架を負わせてしまうことになること、
そして、そんな十字架を背負って生き抜くには、人の一生はあまりにも長いということに、
多分自分のことで精一杯だった少女の思いは至らなかったのだろう。
また、深く愛した少女の必死の思いを受け止め、進んで重荷を背負った少年も、
自分ひとりがこの先数十年負って行くことになるものがどれほどのものか、
(多分、早晩背負いきれなくなってしまうだろうが)
たった18年しかない人生経験からは想像することが出来なかったのだろう。

そういう思いをまるごと受け止め、それでも彼らが生きて行こうという気持ちになるまで、
粘り強く説き続けるのが大人の役目であるはずなんだけどね。
わたしの場合も、周りにはそういう大人が誰も居なかったもんな。
況や30年後の現在をや。

それにしても・・・。
やるせない気持ちにさせられる事件だなあ、と思う。
思春期の少女の中には、
ちょっとしたきっかけで「死」の匂いに惹きつけられてしまうものがいるのだ。
彼女らは、しっかり周りの大人がヒモを握っていないと、
匂いの方にふわーんと飛んでいってしまう、
まるで風船のように頼りない生きものなのだ・・・。