まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「本当の賢さ」とは~「ニュー・シネマ・パラダイス」を娘と見た~

高校が休みの娘と「ニュー・シネマ・パラダイス」を見た。
前にも見たことはあったけれど、
齢を重ねてから見るとまた違った見え方がして、
新しい気持ちで感動した。
何を見ても結構反応がドライな娘も、
アルフレード、いいヤツ過ぎ!!!
最初はちょっと太ってて冴えないおじさんだと思ったけど、
見ているうちに段々アルフレードが凄くカッコ良く見えてきた!!!」
と、興奮した口調で言っていた。

次からはネタバレになるので、未見の方はご注意のほど。











10歳の時から映画の映写室で生きて来たひと。
子供の頃学校に通うことが出来ず、壮年になってから、
大きな身体で恥ずかしそうに「小学校卒業検定試験」を受けていたひと。
たとえ言いたいことがあってもそれを語ることなく、
ひたすら映画を映写し続けてきたひと。
トト。
第二次世界大戦でロシア戦線へ行った父親は帰らず、
生活に疲れて切って彼にすぐ手を上げる美しい母と小さな妹との3人暮らしの少年。
家は貧しいけれど、知恵と時に小賢しいやり方とで生き抜いている少年。
映画に心惹かれ、叱られても叱られても映画館通いを止められない少年。
こんな親子以上に年の離れた二人を中心に、「シネマ・パラディソ」
(のちに「ヌオヴォ・シネマ・パラディソ」)を主な舞台として話は進む。

アルフレードは心優しい男だ。
映画館に(正確には映写室に)追い払っても追い払っても通って来るトトに、
「今度来たら殴るからな」と脅しをかけることはあっても、
彼の母親のように実際に子供をぶちのめすことはない。
トトがちょっと汚い手を使って(「小学校卒業検定試験」のカンニングと交換条件で)
映写室に大手を振って通えるようになった後は、
トトを一人の人間としてきちんと扱い、「子供」だからと軽んじたりは決してしない。
優しさが仇となって視力を失ったあとも、
「慧眼」を以てトトに接し続け、
彼の代わりに映写を引き受けることとなったトトを、
常に人生の善き先輩として優しく支え続けた。

やがて、青年になったトトは、身分違いの恋に破れ、心に傷を負う。
故郷の村を離れてローマへ行ったトトは、
アルフレードのアドバイスに従って30年もの間帰郷しなかった。
30年後、アルフレードの葬儀に出るために村へ帰ったトトは、
初めノスタルジーに浸るが、次第に時の流れが村に与えた変化を思い知ることになる。
羊や牛が歩き回る寒村で、、貧しいながらも人々が映画館や広場に集い、
共に泣き笑いしながら暮らしていた故郷は、
車が行き交い一見賑わっているようで、実は冷たい場所になっている。
アルフレードとの思い出の「ヌオヴォ・シネマ・パラディソ」も、
6年前に閉館し(しかも最後の方はポルノ映画専門館になっていた)、
まさに取り壊されようとしていた。
懐かしい人々はすっかり年老いて、
しかも映画監督として成功を収めたトトに敬語を使う。
アルフレードの「形見」である一巻のフィルムを持ってローマへと帰るトト。

アルフレードの「形見」を立派な映写室で一人見るトト。
そこに映し出されたものは・・・数えきれない映画から、
かつて「シネマ・パラディソ」の館主であった神父様によって検閲を受けてカットされた、
キスシーンだけをつなぎ合わせたものだった。
(それは子供だったトトが執拗に欲しがったものだったのが、
可燃性の高さを危うんだアルフレードが「お前にやるが、俺が保管しておいてやる」
と言ってトトに与えなかったのだ)
スクリーンに映し出される、キスシーンに次ぐキスシーン。
涙ぐみながらそれを幸せそうに見つめるトト。
そして、「FINE」の字が映写室のスクリーンに映し出されて、映画も終わりとなる。

見終わって、アルフレードは真の意味での賢者だったのだと思った。
彼は、数十年に渡って続けて来た、
「嫌々ながら同じ映画を100回も見る」生活を通して名画から得た智慧を持っていた。
さらに、映画館と村の広場という人々が集う場所から一人離れ、
しかもそれを高い位置から常に見下ろす生活を続ける中で得た智慧
すなわち人々の喜怒哀楽や様々な出来事を客観的かつ俯瞰の視点で見続け、
孤独な映写室での生活の中でそれに深い考察を加えて得た智慧とを兼ね備えていたのだ。
アルフレードは小学校卒業の資格を壮年になってようやく手に入れた男だったが、
そういう点数で計れるような表面的な知識は無くとも、
人生の真実を見通すことが出来るような深い「智慧」の持ち主だったのだ。

アルフレードがトトに遺したフィルムの意味。
ローマで成功者となったトトだが、そこでの生活に真の愛はない。
(郷里の母が見破ったように)。
トトは30年前の失恋の痛手から、
誰かを心から愛することもなく、心から愛されることもない生活を送っているのだ。
そんな彼にいま一番必要なものは「愛」なんだよ、全てを手に入れたかに見えて、
キミの心が満たされないのは「愛」が足りないからなんだよと、
死を前にしたアルフレードはトトに伝えたかったのではないだろうか。

いいなあ、アルフレード
彼のような大人になれたら素敵だなあ。
そして、若いひとたち一人ひとりに、アルフレードのような存在が居たなら、
いじめも自殺も引きこもりも無くなるだろうになあ。

テレビを点ければ「高学歴タレント」たちが、点数で計れるような知識の多さを競っている。
この国のひとたちは、そういう知識をより多く持っているひとを、
「真に賢いひと」だと本気で信じているのだろうか。