まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

かあさんの好きだった花を持って

仙台へ墓参りに行って来た。
報告しなくちゃならないことがちょっとあったので。

前日に産直で花を買うことにした。
両親の墓参りの時には、菊の花を買わないことにしている。
亡くなったかあさんが嫌っていたから。
「お母さんは菊の花が嫌いだったっけなあ。
『葉っぱから腐って嫌だこと!
花だけ持ってても、葉っぱがダメになってお化けみたいになるんだから。
ああ、嫌だ、嫌だ!』ってよく言ってたんだ。」
かあさんが亡くなったあと、とうさんがそう言っていた。
だから、四十九日までにとうさんの代わりに墓参りに行った時も、
いつもいつも菊の花以外の花を買って持って行ったのだ。

産直に行くと、本当にいろいろな花が売られていて目移りした。
散々迷って、ライラックデルフィニウムアルストロメリア、なでしこ、青い麦の穂を選んだ。
もうじき母の日なので、カーネーションも一束買った。
ひと抱えほどもあるくらい花を買ったのに、
ありがたいことに2000円でおつりが来た。
産直様様である。

両親の墓は仙台の「子平町」という辺りにある。
(「海国兵談」で有名な林子平の屋敷があったから「しへいちょう」という)
ここは交通の便が非常に悪い場所で、
子供の頃お墓参りに行くと、帰りのバスを飽き飽きするほど待たなければならなかった。
今は大人になったので、バスの終点の交通局前から頑張って寺まで歩く。
結構な道のりではあるが、ウォークマンさえあれば楽勝である。

寺に着くと、墓地内のお墓が激減しているのに驚いた。
前回、かあさんの三周忌に来た時はあったはずの墓が、
あちこちで無くなって更地になっている。
一方では見るからに新しい墓が建ち並んでいる区画も出来ていた。
古くからのお墓と違って、狭いスペースに、同じ形の墓石が建っている。
代替わりして仙台へ墓参りに来る人がいなくなった家では、
墓を無くして続々と「永代供養」に切り替えているんだろう。
そして、寺では、そうやって空いたスペースを細かく区切って新しい檀家に売っているのだろう。
御仏の世界もまた、「算術」で成り立っているのだなあ。

持って来た花を供え、線香に火を点ける。
いつ来ても風がビュウビュウと吹いて居てなかなか火が点かない。
とうさんも「なかなかつかねえなあ」と言いながら悪戦苦闘してたっけ。
墓石が建ち並んでいる一角をいつも風よけに使っていたのだが、
そこも更地になってしまっていた。
両親の墓がある辺りは古くからの檀家の墓が多い区画なのだが、
その辺りで更地が特に多かった。
時代の流れなのだろう。

「おっかさん、好きな花、持って来たよ。
ライラックもなでしこも大好きだったでしょ?
もうじき母の日だから、カーネーションもあるよ」
「あらあ、ライラックだって!
なんだろ、このライラック、あんまり香りがしないみたいだけど?
この青い花、名前は何だっけ・・・ああ、デルフィニウム、そうだった、そうだった!」
花が大好きだったかあさんが、そう言ってはしゃいでいるような気がした。

気がしただけだけど、ただそれだけだけど・・・。
そう思ってくれたと思ってもいいんですよね?