まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

保育園は「迷惑施設」について。

最近、マスコミで取り上げられることが多くなった「保育園建設問題」。
今日もつらつらとテレビを見ていたら、
銀座で街頭インタビューした様子が流れていた。
いかにも銀座マダーム、という体の70代女性は
「それは静かな環境で暮らしたいですからね」と、
保育園建設に反対する地元住民に好意的な意見。
もう一人年輩の女性も同様の意見で、
唯一赤ちゃんを抱っこひもでくくりつけてた20代女性だけが、
「お互い様、という寛容の気持ちを持ってほしい」という意見だった。

「防音壁」に囲まれた、保育園の庭で遊ぶ子どもたちの姿が映った。
異様な眺めだった。
子どもたちの目の高さで見上げたら、
壁の上にちょっとだけ見えている家々の屋根は見えず、
きっと自分たちの周りに空まで届く高い壁が張り巡らされているようにしか見えないだろう。
自分たちがまるで刑務所の囚人であるかのように。

アレックス・シアラーという作家の書いた「世界でたったひとりの子」という本を読んだ。
医療技術が発達し、人々が200歳もの長寿を手に入れた世界が舞台。
その代わり、一体どういう訳なのか子供が生まれなくなった世界で、
人々は「子ども」を求め、グロテスクにうごめく。
貴重品となった子どもをさらって、金持ち相手に高額でレンタルしたり、売却したり。
「PP(ピーターパン)インプラント」と言われる違法手術を受けることによって、
文字通り永遠に子供のままの姿にとどまり、大人相手に無邪気な子供を演じ続ける者もいる。
そんな歪んだ醜い世界の中で翻弄される、「本物の子ども」タリンの物語。
その本の中の一節。

>静かだった。叫び声も、金切り声も、笑い声も聞こえない。ケンカも、いじめもない。
>ゲームの音も、ボールをつく音も、だれかを呼ぶ声も聞こえない。ただひっそりして、
>それはみごとなほどだ。けれど、それは不自然だった。静かすぎる。代償が大きすぎた。
>まるで、鳥がさえずりを忘れたようで、こどもたちの音がいっさい消えた。けれど、
>こんな状態が好きだという人たちもいる。静かで、落ち着いて、整然としていて、
>世界がおとなのための場所であるのが。
       竹書房文庫刊「世界でたった一人の子」137ページより

大人のための世界!
静かで、落ち着いて、整然としていて。
しかし、そこには未来がない。
数十年ののちには死に飲み込まれてしまう運命の世界なのだ。
子どもの世界はその対極にある。
騒々しくて、常に動いていて、混とんとしていて。
それは、いのちがダイナミックに脈動しているからなのだろう。

最近、東京に行く機会があった。
山手線の中で4歳くらいの男の子を見かけた。
髪を七三分けにきちっとなでつけ、お行儀よく座席に座っていた。
奇抜なファッションに身を包んだ両親は彼の前に立ったまま、二人ともスマホに夢中。
狂ったように画面を指先でこすっていた。
男の子は老人のような静けさをたたえたまま、
時折頭を巡らせて窓から景色を見た。
そして、瞬間的にわたしと目が合った。
わたしは彼に笑いかけたが、彼は老人のような静けさをたたえたまま、
完全に無視して、二度とわたしが立っている方を見ることはなかった。

あれが、この国の大人が考える「子ども」の理想の姿なんだろうか。