まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

わたしは生まれるはずではない人間だった

今朝のあさイチのテーマは「流産」。

一人目の子供を妊娠していたときのこと。
産婦人科で受診待ちしていたら、
診察室から泣きながら女性が飛び出してきた。
そして、待合室で待っていた夫らしき男性に向かって
「赤ちゃんが死んじゃってるんだって!
おなかの中で死んじゃってるって!
どうしよう!どうしよう!」と。
あのときの彼女の悲鳴のような声、
飛び出して来たときの表情を忘れることができない。

わたしの母も流産の経験があった。
わたしが生まれる3年前に。
「ぶどう子」と言われるものになって、子宮内を掻把したのだそうだ。
それから3年後。
「二人目は是非男の子であって欲しい」
母の強い願いもむなしく生まれたのはわたしだった。
「お前なんか本当は生まれるはずじゃなかったんだ。
3年前の子が生まれてればお前なんかいらなかった。
お母さんが悲しそうだったから弟が欲しいって言ったけど、
お前みたいな可愛げのない妹が生まれるって知ってたら、
あんなこと言うんじゃなかった。」
6歳年上の姉から繰り返し投げつけられた言葉。
鈍感そうな、何も感じてなさそうな顔を必死で作って
「あんたの言葉なんかに傷ついたりしてないから」ってフリをしながら、
わたしの心の中はどうにも出来ない悲しみでいっぱいだった。

その後母が姉や姉の子のことばかり溺愛し、
わたしやわたしの子供たちに冷たい(という言葉では表せないが)態度を取るようになり、
その理由について考えるとき、
わたしの心にはいつも「生まれなかった兄」の存在が浮かんだ。
「お父さんに言われたのよ、
『どうしてうちだけ男が生まれないんだ』って」
そう母に直接言われたとき、母の言葉の端々まで「無念さ」があふれていたことも、
繰り返し姉から投げつけられた言葉が、まるで母の想いを代弁するかのように感じられたことも、
そもそも「要らない女の子」としてわたしが生まれたことも。
すべてはわたしが生まれる3年前に「兄」さえ無事生まれていれば
起こらずに済んだことばかりだった。

「流産」が傷つけるのは、
流産してしまった本人の心だけではないのだ。
分かり切っていることかもしれないけれど、
ちょっとだけ耳を傾けて欲しいこと。