まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

二十歳になったキミへ


長男が昨日二十歳になりました。

二十年前の昨日、仙台は小雪がちらつく寒い日でした。
一晩中実家の二階で陣痛に一人で耐えていたわたしは、
母に付き添われて近所の産婦人科に行きました。
初産だというのにそれから3時間ほどで生まれた長男は、
大き過ぎる頭がつかえてしまったため、
最後は吸引されて生まれて来ました。
初めて見た長男は引っ張られた頭がおかしな具合に伸び、
まるで「コーンヘッズ」のようでした。
そうやって生まれて来た長男との二十年。
文字通り山あり谷あり、怒涛の日々だったように思います。

二十歳になった長男に、
オードリー・ヘップバーンが最後のクリスマスに息子に聞かせたという、
サム・レヴェンソンの書いた文章を贈りたいと思います。

「ときの試練によって磨かれる美」

魅力的な唇になるために、やさしい言葉を話しなさい。

愛らしい目を持つために、人のよいところを探しなさい。

おなかをすかせた人に食べ物を分けてあげれば、身体はほっそりするよ。

1日1回子どもが指で梳いてくれれば、髪はつややかになる。

決してひとりでは歩いていないことを知っていれば、

弾んだ足取りで歩けるはず。

おまえの未来のために伝統を残しておこう。

愛情をこめた人のやさしい慈しみは、けっして失われることがない。

物は壊れたらおしまいだけど、

人は転んでも立ち上がり、失敗してもやり直し、生まれ変わり、

前を向いて何回でも何回でも何回でもあらたに始めることができる。

どんな人も拒絶してはいけないよ。

助けが欲しいとき、必ず誰かが手を差し伸べてくれることを覚えておきなさい。

大きくなればきっと自分にもふたつの手があることを発見するだろう。

ひとつの手は自分を支えるため。もうひとつの手は誰かを助けるため。

おまえの「すばらしき日々」はこれから始まる。

どうかたくさんの日々を味わえるように。

ショーン・フェラー・ヘップバーン著、竹書房
「母、オードリーのこと」218~219ページより

願わくば、長男の前途が明るいものでありますように。
人々とのつながりの中で、いつも笑顔でいられますように。
そして、長男の存在が周りの人々を笑顔にできますように。