まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

わたしにできること

「・・・さあ、わたしが出て来たってことは・・・みなさーん、たくさん笑いますよーっ!」
顔なじみになった利用者さんたちの中には、早くも笑顔になってる方もいる。
「いいですか、笑うだけでいいことが沢山あるんですよー!
まず、病気をやっつける力が強くなる!
痛いとこがある人は、痛みを忘れる!
それから、脳みその働きがすごく良くなる!
運動したのと同じ効き目があって、健康になる!
ただ笑うだけ、お金はぜーんぜんかかりません!
これはもう、笑わなくっちゃ損損!
さあ、一緒にたくさん笑いましょう!!!」
 
ボランティア活動で、いつもキーボードを使った伴奏を担当してるわたしだが、
もう一つ冒頭の「お口体操」というのも担当している。
それを始めるときの決まり文句がさっきの文言。
亡くなったかあさんが見たら、眉をひそめながら、
「あんたって、ホント、よくやるわ」と呆れた口調で言うだろうな、
と自分の中で声がするけど、必死で聞こえないフリをして。
 
「今日もいつもの『あいうえお笑い』やりますよー!
じゃあ、まず『あーはっはっは!』から!
大事なことは一つだけ、『恥ずかしい気持ち』をポイっとすること!
まずはわたしがお手本をやってみますね!
(利用者さんたちを笑顔で見回す)
『あーはっはっはっはっはっは!』(大音声で)
わたしに負けないくらい大きな声で行きますよ!
さん、はいっ!」
 
・・・とまあ、こんな感じで、特に素敵な笑顔の人を
「○○さん、ベリーグッド!」と大げさに褒めながら握手したり、
声の小さな人のそばに近よって行って耳をそばだて、
笑顔になったらこちらもビッグスマイルで握手したり(嫌がる人の場合は笑顔を返すだけ)、
そんな風に利用者さんたちとコミュニケーションしながら、
「いーひっひっひ」「うーふっふっふ」「えーへっへっへ」「おーほっほっほ」までやる。
 
そして、お口体操のシメはいつも「幸せのポーズ」である。
「幸せのポーズ」とは、笑顔でバンザイすること。
笑顔を作ると、実は騙されやすい性質を持つ脳が「今幸せなんだな」って思うのだそう。
さらに、「いいことがあったときしかしないポーズ=バンザイ」を同時にすることによって、
瞬間的に幸せスイッチがオンになってしまうことが科学的に証明されているそうなのだ。
「じゃあ、最後は『幸せのポーズ』、笑顔でバンザイ、行きますよ!
肩とか肘とか痛い方は出来る範囲で無理せずに!
せーの、バンザーイ!もういっちょ、バンザーイ!もひとつおまけに、バンザーイ!」
 
「・・・そんなことやって、一体何の意味があるって言うの?」
かあさんがそう言う声が聞こえる。
「あんたの目の前にいる人たちは、みんなもうじき死ぬのよ。
笑ったりバンザイしたりさせて、何の意味があるわけ?」
意味、意味か・・・。
それを言ったら、人生自体何の意味があるかってことになるよね。
テレビを見て笑おうが、美味しいものを食べて一時的に幸せな気分になろうが、
わたしたちは「おぎゃー」と生まれた瞬間から、いずれは死ぬことが運命づけられてるんだし。
エボラ出血熱がなんだ、人生の致死率は100%だ。
いちいち「意味」を問うていたら、やってられないよ。
かあさんみたいに、近づいてくる「死」だけを見つめていておかしくなってしまったら、
それこそ限りある人生が勿体ないじゃないか。
わたしに出来ることなんて、本当にぽっちりだけど。
2週間に1度、1回50分のわたしたちのボランティア活動の時間中だけでも、
「誰かの父母」である利用者さんたちが笑ったり歌ったりして、
一時的にでも楽しい気持ちになったり神経痛を忘れたり出来たら、
それで十分「意味」があるって考えるしかないんじゃないか。
 
だから、わたしは毎回毎回おバカを続けるのだ、
「・・・さあ、わたしが出て来たってことは・・・」ってやりながらね。