まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

200年前の英国のロマンスには付いて行けました~「プライドと偏見」を見た~

わたしにはいくつか苦手な映画のジャンルがありまして。
筆頭は「ホラー」と「スプラッター」なんですが、
その次くらいに「恋愛映画」がダメなんですね、ハイ。
「男と女が出会いました、意気投合しました、
あっという間にキスしてSEXして、傷つけ合って別れたけれど、
またよりを戻しました(または別れたままでした)」みたいなヤツが。
 
・・・小っ恥ずかしい。
大画面で、しかもドルビーサラウンドシステムのリアル過ぎる音響効果で、
裸の男女が延々と「官能シーン」を演じる場面を凝視し続けるなんてこと、
とてもとても出来やしないです、わたしには。
その昔「イングリッシュ・ペイシェント」という映画がありまして。
その時のレイフ・ファインズを映画館で見て
「はあー、この世の中にこんなにも立ち姿が美しい男の人が存在しておったのかー!!!」
とびっくり仰天、一瞬で目がになってしまったのですが、
あの映画の官能シーンがキツ過ぎて目のやり場に困ってしまったのもまた事実でした。
 
うつ病になってからさらにその手のものが大嫌いになってしまい、
キスシーンを見るのも嫌で目をつぶってしまうことさえあったのですが・・・。
 
いやあ、忘れかけていたロマンスの素敵さを、
この映画が思い出させてくれましたよ!!!
プライドと偏見」(原題PRIDE&PREJUDICE)。
先日「ジェーン・エア」の2011年版の映画を見て、
「忘れていたけど、ロマンスもいいな」という気持ちになったのですね。
そこで、以前から借りようと思っていたこの映画のDVDを借りて見たのです。
一度目は「???よく分からん。結構退屈だなあ」でしたが。
特典映像で「ジェーン・オースティンの時代の恋愛」について知ったあとでもう一度見ると、
・・・おおっ、そうかあ、そういうことかあ!!!
ここでちらっと見ているな、ここでも気になっているんだな、そうかそうか、よく分かる、この気持ち!!!
という具合に、200年前のイギリスの紳士淑女の奥ゆかしいロマンスが、
何だかピタッとわたしの気持ちにはまりまして。
 
わたしは、夫以外の人とお付き合いした経験が全くないのです。
夫以外の誰ともキスしたこともないのですね。
小学校2年生からずっと変わらず大好きで「お嫁さんに絶対になる!」
と心に決めていた幼馴染のNくんにだって、
最後まで一度も「好き」と言えないままだったです。
でも、この映画のダーシーとエリザベスみたいに、
相手に気付かれないようにしていつもNくんのことを見てました。
そして、多分Nくんもわたしのことを。
高校に入るとき、Nくんは男子校、わたしは女子校に別れてしまったけれど、
文化祭へはお互いの学校へ行ってやっぱり相手をちらっと見てドキドキしながら帰って来て。
誕生日にはカードを送ってましたが、いつも心のこもった手紙が返って来ました。
「今度犬を飼ったよ。名前はクロ。黒い犬だからクロなんて、芸がないよね。
今度是非見においで。クロが喜びます。もちろん、飼い主も。」
そんな風な手紙を受け取っていたし、窓を閉めようと思って二階の部屋から外を見たら、
Nくんが家の外に立っていたこともありました。
・・・でも、わたしはNくんに会いに行くことはありませんでした。
家の外まで来ていたNくんの元に行くことさえしませんでした。
あの頃のわたしは、自己嫌悪の塊で、自分の素顔をさらして通学することすら我慢出来ないくらい、
自分の存在が嫌で惨めでたまらなかったのです。
Nくんからもらった手紙を、毎日毎日何十回も読み返して、
その度に嬉しくて嬉しくてたまらなくて、心臓がドキドキしちゃっていたのに、
そして優しさのこもったNくんからの手紙だけが、
その頃のわたしに生きる理由を与えてくれていたほどだったというのに。
 
この映画を見て心底羨ましいなあ、と思ったのは、主人公たちの心に
自己嫌悪というものが少しもないことです。
身分が低かろうと、財産が少ししかない家に生まれようと、卑下しない。
だから、ダーシーに雨の中で告白された時にも、
自分の感情を臆することなく吐露することが出来たのですね。
(そのことで一層ダーシーはエリザベスのことを愛するようになったのだと思います)
 
いいなあ、あの頃のわたしに、少しでもエリザベスみたいなゆるぎない自己があったらなあ・・・。
などと、久しぶりにNくんの面影を懐かしく思い出しながら、
ちょっとだけおセンチになってしまったわたしなのです。