まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「・・・たら」「・・・れば」はいけないと分かってはいるけれど。

もうすぐとうさんの1周忌だ。
「去年の今ごろとうさんは・・・」
この1年数えきれないくらい繰り返してきたことだけれど。
もうじき、「去年の今ごろ」を思い出してみても、
生きてるとうさんの姿がなくなってしまう日を迎えるのだなあ。
 
もしも、あのとき・・・していれば。
この1年、こんな空しい「たら、れば」も数限りなく繰り返してきた。
その中でもっとも強敵の「たら、れば」のことについて記事にしようと思う。
 
去年の5月14日の夜のことだった。
とうさんが入っていた老人ホームから電話があった。
「実は、お父様の様子がちょっとおかしくて・・・。
トイレに行った時に、足が上手く前に出なかったんです。
なんだか、足に力が入らないような感じで。
明日の朝、病院へ連れて行こうと思いますが、
それでいいでしょうか?」
そういう電話だった。
「・・・ちゃんと話は出来ているんでしょうか?」と尋ねると、
話は普通に出来ている、言葉もしっかりしている、という答えだったので、
「それでは、明日の朝病院へ連れて行ってくださるようお願いします」と頼んだ。
翌朝、8時半過ぎにとうさんの携帯へ電話すると、とうさんが出た。
「…大丈夫なの?」と聞いたわたしにとうさんは、
「うん、大丈夫だ」と答えた。
その日は、午後から老健のケアマネさんが面接に来る予定になっていた。
(とうさんを「ブラック老人ホーム」から移すところだったのだ)
「今日、午後から面接だから、わたしも間に合うように行くからね」
「ああ、待ってるから」
途中、ちょっと咳込んだものの、とうさんはいつもとほぼ変わらない様子で話して電話を切った。
 
その後起こったことを考えると、わたしは自分の無知を呪いたくなる。
 
手足の運動に異常が認められたとき。
それは「脳の異変」を示しており、一刻も早く病院へ連れて行かなければならない事態だったのだ。
それを、「言葉がしっかりしている=脳の異常ではない」と考えてしまい、
翌日の診察でいいと言ってしまった・・・。
(とうさんは、ホームへの入居時から激しい腰痛を訴えていたが、かかりつけ医が外部への通院を嫌がっており、効き目のない内服薬を処方されていた。
ペインクリニックへの通院がようやくかなったのは、とうさんに異変が起こる5日前のことだった。
そんなこともあって、足に力が入らなくなったのは、腰から来ていると思ってしまったのだ。
・・・今となっては全部言い訳にしか聞こえないけれど。)
しかも、とうさんが病院へ連れて行ってもらったのは、
翌日の午前11時近くになってからだったのだ。
前日夜7時ごろトイレで異変を覚えてから、12時間以上が経過していた。
さらに言えば、とうさんが検査を受けている間、老人ホームのケアマネさんが、
「昨夜、晩御飯の時、なんだかぽろぽろこぼしてたんですよね」と言っていた。
夕飯は午後6時より少し前だったはずだ。
脳に異変が起こってから17時間ほども経過していたとは・・・。
痛恨の判断ミスだった。
 
そう、わたしが許可したのだから、わたしが悪い。
わたしの不勉強が招いた事態である。
でも、でも、でも、である。
「かかりつけの医師がいる」ということをうたい文句にしている老人ホームが、
判断に医学の知識が必要不可欠な場面で家族にそれをゆだねるとは、
無責任というものではないのだろうか。
「家族の判断に従ったまでですから」と言って責任逃れをしているようにしか見えないではないか。
何のためのかかりつけ医なのか。
夜間は120人もの高齢者(しかも要介護5の人まで入居可)を、
たった一人の夜勤の介護職員で面倒を見ているのだ。
医学的な判断が必要な場面では、
夜間でもかかりつけ医がどうにかしてくれるはず・・・と考えるのは甘いのか。
 
いつもいつも、堂々巡りだ。
結局はわたしの判断ミスで、とうさんを死なせてしまった・・・という事実は、
どうしたって変えられやしない。
だからわたしは、空しい「たら、れば」に逃げるしかないのだ。
 
・・・ごめんね、とうさん。
無知な娘で、ごめんね。