まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

義父が認知症に・・・。

義母と二人暮らししている義父が認知症になった。
 
「物忘れがひどい」ということは、時々様子を見に行っている夫から聞いていた。
(義父は、昔からとにかく夫のことだけを頼りにしているのだ)
「一応病院で診てもらうよう勧めたら?」と言ってみたけれど、
「本人が『まだ大丈夫だ』と言ってたから、まだ大丈夫なんだろう」ということだった。
 
それが、先週「用事を頼みたい」と平日の日中実家へ来てくれるよう頼まれたので行ってみると・・・。
義父の物忘れは、加齢のものかどうか判断に困る、と言ったレベルではなくなっていた。
固有名詞が一切出て来ない。
「宅急便」という言葉も、「クロネコヤマト」という言葉も、
人の名前も何もかも、「あれ・・・なんだっけ・・・えーと・・・あのー・・・」という具合。
第一、前日に約束したと言うのに、私が行くことをすっかり忘れてしまっていた。
私が訪ねて行っても「何で来たんだろう?」という反応だったのだ。
それに、元々身ぎれいな人ではなかったが、
(こう言っては失礼だが)物凄く薄汚れた印象を受けるようになっていた。
 
夜になって日中留守だった義母に電話すると、
「ゆうべ、殴られたり蹴られたり、挙げ句の果てに噛みつかれたりした」と驚愕の発言。
若い頃から「DV男」だった義父に、数十年に渡って罵倒され、暴力を振るわれて来た義母は、
「いやいや参った参った、一体何で爆発するのか全く分かんないんだから困る。
それに、あんた、噛むんだからね、あはははは、犬でもあるまいし、噛むかねえ」
などと笑っていたけれど、話を聞いて私はびっくり仰天だった。
今までは幸い病院へ行かなければないないような怪我はさせられずに済んできたけど、
この先どうなるか分からないし。
「最近、ちょっとぼけて来たのか、親父も穏やかになった」という夫の言葉に安心してたが・・・。
 
帰宅した夫に事情を話して、至急病院へ連れて行くよう話した。
翌日、県が運営している「高齢者110番」みたいな電話相談に連絡して、
内科だけど認知症にも対応してくれる病院を紹介してもらい、
先週の土曜の朝早く、夫が義父を説得しに行った。
自分でも不安を覚えていたらしく、義父は案外すんなりと「病院へ行く」と言ったそうだ。
そして・・・。
 
認知症を簡単に検査する「長谷川式テスト」の結果は30点満点中14点。
MRIなどの検査を受けた後でないと確定診断は出来ないそうだけど、
認知症が進んでいる、と思ってほぼ間違いないでしょう」と言われたそうだ。
そう告知された義父本人は「今年に入った辺りから、自分でもどうしてしまったのか、
不安になるくらい物忘れがどんどんひどくなって来ていた」と言っていたって。
しかし、昔からものすごいクヨクヨ屋だったはずの義父が、
そう宣告されてもケロリとしていたそうな。
認知症になるのは、不幸なことだとは一概に言えないと思うんですよ。
忘れたくても忘れられなかった辛いことも、みんな忘れてしまえるんですからね」
私がお世話になっている精神科のドクターの言葉をまた思い出した。
 
これから、大きな病院での平日の検査など、私が義父の世話をしなくてはならなくなる。
「DV男」で、「男尊女卑」が服を着て歩いているような義父のことが、
実は昔から大層嫌い(すいません)であった。
でも、そう言ってはいられなくなるからね。
義母は義父から逃れるために、趣味の世界に没頭していて、
日本全国を駆け回る多忙な生活を送っているため、
平日身動きが取れるのは専業主婦のわたしだけなんだから。
 
それにしても・・・。
若い頃から酒浸り、しかも「みんな、俺のことを馬鹿にしやがって」とか言いながら、
コップで一人酒をあおり、奥さんに暴力を振るい、でも「外面」だけはものすごく良く、
「あんなににこやかな男性にお目にかかったのは生まれて初めて!」と他人に言われるようで、
実は社会的な地位も結構あり、尊敬される役職に就いていた義父が・・・。
本当は、義父が心地よく過ごせるように心を砕いてやらなければいけないのだろうけれど、
私はずっと義母の味方だからね、「身から出た錆」という言葉が、
脳裏から離れないのである・・・薄情者ですな。