まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

音楽ホールのボランティアスタッフを「卒業」しました

ときどき「ちりとてちん」書庫にあった最新記事を二つ、
削除しました。
mis**26さん、頂いたコメントも一緒に消えてしまいました。
ごめんなさい。
わたしのような若輩者が書くべき内容ではなかったと反省しております。
 
さて、2年前から続けていた某音楽ホールでのボランティアスタッフ。
先日任期を終え、「卒業」しました。
学生時代、両方の手の指では数えきれないくらいのアルバイトを経験したわたしですが、
厳しいドレスコードがある職種は初めてでした。
黒のジャケットに、白のワイシャツ(わざわざ買った!)、
黒のタイトスカート(これもわざわざ買った!)に黒のパンプス、肌色のストッキングという、
非常にきちんとした身なりをして初ボランティアへ出かけるわたしを見て、
子どもたちが「お母さん、一体どうしたの、そんなにちゃんとして!」と仰天したのが昨日のことのよう。
以来、十数回、ボランティアスタッフとして、コンサートを支えるお手伝いをしました。
 
「いらっしゃいませ、どうぞお楽しみくださいませ」と、
お客様おひとりずつに笑顔で声を掛けながら入口でプログラムをお渡ししたり、
ドアマンとしてお客様をお迎えし、お席までご案内したり、遅れて来た方を曲間までお待たせしたり。
どの配置場所でのボランティアでも、必ずあったのがお見送り。
ドアを開けると、お客様が出て来られます。
その日の感想などを口々に話し合いながら家路に就かれる沢山の顔に浮かんだ、
満足そうな幸せそうな表情を見るのが、何よりの楽しみでした。
 
この2年の間に、わたしは両親を亡くしました。
おととしの夏、当時高校3年生だった息子たちの部活動の定期演奏会が、
わたしが働かせていただいた音楽ホールで行われ、
父が遠路はるばる聞きに来てくれました。
ベンチに並んでジュースを飲みながら、父に
「わたしね、ここのホールでボランティアスタッフしてるんだよ。
ちゃんと黒いスカートはいて、黒のジャケット着て、ハイヒール履いて、
お澄ましして働いてるの。すごく楽しいし、何よりタダで音楽が聞けてとっても素敵なの!」
と話したことを思い出します。
父の死後、ホールへボランティアしに行くたびに、ベンチの前を通っては
その時のことを思い出しました。
そして、嬉しそうに話を聞いていた父の笑顔を思い出しては、
「ここで、このタイミングでボランティア出来て幸せだったな」と思うのでした。
 
最後のボランティア活動日、ホールにいらしたのは、
宮川彬良さんとアンサンブル・ベガの皆さんでした。
皆さんにおなじみの親しみやすい曲目に、彬良さんの楽しいトーク
そして・・・アンコール曲は、父との思い出の「マツケンサンバⅡ」でした!
アンコール曲の途中でお帰りになるお客様をお見送りしながら、
わたしはこらえようとしてもぽろぽろこぼれてくる涙に困っていたのでした。
 
*父との「マツケンサンバⅡ」の思い出については、「音楽」書庫の中の記事をお読みください。