まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

サプライズ大成功

バレンタインデーだった昨日、2月14日。
1ヵ月以上前から、ボランティア仲間たちと準備して来た、
Mさんのための「サプライズ送別会」決行日だった。
 
Mさんは、カリスマリーダーだったAさんが就労を理由に突然辞めてしまわれた後、
一時空中分解の危機に陥ったわたしたちのグループをまとめ続けてくださった方。
とは言っても、わたしたち一人ひとりの首に綱を付けて、
馬車馬のような勢いで引きずるような感じだったAさんのやり方とは大違いだった。
Mさんは、「自分が、自分が」と言うようなタイプとは正反対の方で、
わたしたちの意見にじっと耳を傾け、「ここぞ」というときに、
ごく控えめにさりげなく、方向性を提案してくださるような方だった。
自己啓発」と書いたのぼりを押し立てて先頭を疾走していたのがAさんだったとしたなら、
Mさんは9本のスポーク(わたしたち9人のメンバー)の真ん中にいる「ハブ」のような存在。
Mさんという存在を得て、車輪がスムーズに回るようになった感じだったのだ。
 
だからこそ、Mさんが名古屋へ引っ越してしまわれることを聞いたわたしたちの落胆は激しかった。
メンバー同士その話題になると、メソメソしてばかりいて。
わたしも仲良しのTさんと電話でメソメソしてたのだが・・・。
その時、「Mさんの送別会をしよう」という話が、どちらからともなく出たのだ。
 
それが、1月上旬のこと。
以来、日時を設定してメンバーの予定を確認したり、
貸切出来るレストランを探して予約したり、
記念品を探したりメッセージカードをMさんに内緒でメンバーに渡したり・・・と、
Tさんと二人で頑張って来た。
 
今回の送別会の柱は二つ。
「『いい内緒は3倍嬉しい』(←「魔女の宅急便」原作に出て来る言葉です)ので、
Mさんにはあくまでも秘密にする」
「湿っぽくならないよう、笑顔でお送りする楽しい会にする」
Mさんの送別会と言うことで、Aさんと同時期に辞めたBさん、
持病が悪化して1年以上休んでいるOさんも駆けつけてくれることになった。
 
そして、いよいよ迎えた2月14日当日。
この日は老人ホームでの定例活動日なので、6人のメンバーがホームに集まった。
そして、何食わぬ顔をして活動し、帰る時刻に。
「わたし、今日はちょっと予定があるからお先に。
Hさん、方向一緒だから乗せてくわよ」
司会役のKさんがさりげなく先に出た。
KさんとHさんには会場へ先回りしてもらって、会場へ直行するメンバーのとりまとめを頼んである。
Mさんは「お母さんの病院の付き添いなのかな?」と疑う風もなかった。
もともとMさんには「わたしとTさんとMさんとで、お食事会しましょう」と言ってあった。
当日1年ぶりに活動にも参加したOさんのことを、
「時間があるなら、一緒にお食事会に行きましょう」と誘う形にして、
4人でTさんの車に乗り、会場へと移動した。
民家を改装した小さなフレンチレストランの狭い駐車場に、Kさんの車が止めてある。
その隣には県外ナンバーで、目立つカラーリングのBさんの車も。
「しまった、ここでバレたか」と思ったけれど、
心根が素直で真っ直ぐな性格のMさんは「わあ、こんな素敵なところ!」とキョロキョロしてばかりで、
車のことには全く気付かなかった。
レストランに何食わぬ顔をして入ると、テーブルは見えるけど、人影がない。
事情を知っているはずのわたしたちも「???」と思っていると、
入口の死角になっていた部屋の隅にいた6人が、
「Mさ~ん、ようこそ~っ、お待ちしてましたよ~っ!」
突然のことに状況が呑み込めずきょとん!としているMさんに、Tさんが
「実はサプライズ送別会なの、今日は。ゆっくり楽しんでね!」
 
その後のお食事会の楽しかったこと、楽しかったこと。
美味しい食事と、楽しいおしゃべりと。
わたしたちは、レストランが貸切なのをいいことに、楽しく笑い合った。
食後のデザートとお茶をいただいた後は写真撮影タイム。
お互いにMさんと一緒に入れ替わり立ち代わり撮ったり撮られたり。
20代から70代まで年齢もバラバラなら、出身もバラバラのわたしたち10人は、
まるで全員女学生に戻ってしまったかのようで、
頬を紅潮させて笑い合う一人ひとりの周りにキラキラした空気が漂って見えた。
 
Tさんと二人、前日深夜まで「上手く行くか不安」と電話で話してたのは杞憂だった。
こんなにも素敵なサプライズ送別会になるとは!
 
神様がくださった、素敵な出会いに感謝、感謝、である。