まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「いい病院、いいドクター」とは

昨日午後、久しぶりにかかりつけの精神科へ行ってきました。
「いやあ、お久しぶり~。
どうです、お父さんのこと、だいぶ落ち着きましたか?」
診察室でドクターは笑顔でそう訊いてくれました。
それから30分ちょっと、この5か月間のこと、最近の様子などを、
ドクターはカルテを書いたりせずにちゃんとわたしの顔を見ながら聞いてくれました。
そして、「とにかく引きこもりみたいな状態を脱して外に出ること、
何よりきちんと食事を摂ることが大事だね。
今の状態だと仕事に就いて働く、というのは難しいだろうから、
そういうこと以外に外へ出て人に会える方法を少し考えたらいいんじゃないかな。
ちょっと食欲が出て、落ち込んだ気持ちを少しだけ持ち上げてくれる薬を出しましょう。」
そう言って、ドグマチールを処方してくれました。
「ああ、それ、元々胃薬だったんですよね。
父にも先生が処方してくださいましたよね」と言うと、
ドクターは遠い目をして、「そうでした、おとうさんにもこの薬を出しましたね」と。
去年の12月、嫌がる父を説得して仙台からわたしの住む町へ連れて来たとき、
ドクターに無理を言って父を診てもらったのです。
2時間近く話を聞いて頂き、診察時間の終わりごろには、
父は明るい笑い声を上げながらドクターと話すようになっていました。
診察が終わった後、父は気分が良くなったらしく、
「もう昼どきだな。・・・そばでも食いに行くか?」と自分から言いました。
そして、まだ母が元気だった頃、10年近く前に行ったことがあるそば屋へ行って、
ざるそばを一人前ぺろりと平らげました。
さらに、その帰り道、今から70年以上前に、祖父の仕事の関係でこの町に住んでいたことがある父は、
自分が通っていた小学校が見たいと言いました。
わたしは自家用車で小学校の前を通り、さらに父が小さかった頃遊んだという神社を探しましたが、
残念ながら見つけることが出来ませんでした。
「この次までに探しておくね」と言うと父は、
「旨いそばも食ったし、小学校も見た。俺は満足だ」と答えました。
それが、父の最後の外食になったのです。
 
ドクターの病院はあまり混みません。
なぜなら、ドクターは「薬、減らしましょう」としか言わないからです。
ひとりひとりの患者さんの話を最低でも30分ずつは聞き、
生活に問題があると思えばそう指摘しますし、山のように大量の薬を処方することもありません。
話している間の患者さんの表情などをきちんと見るために、
話を聞きながらカルテを書くこともありません。
本当にいいドクターだと思い、わたしは尊敬しているのですが、
そう思う人はそんなには多くないようです。
2時間待たせて「どうですか?眠れますか?食べられますか?」とだけ聞き、
「じゃあ、前回と同じお薬出しときますから」と3分で診察を終え、
山のような抗うつ剤睡眠薬向精神薬を処方するドクターが「いい先生」と言われる。
なんだか、変だなあ、とわたしは思います。
 
さて、受診から一日経って。
まだお薬も飲んでいないというのに、今朝はだいぶ起きるのが楽でした。
ドクターに話を聞いてもらって、何だかとても安心したからなのでしょう。
本当にいいドクターって、そういう力を持っている人のことを言うんじゃないでしょうか。