まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

移行後もどうぞよろしくお願いします。

Yahoo!ブログ、9月からは投稿も編集も
一切できなくなるんですね。
 
…という訳で、こちらの
はてなブログ」さんへ移行しました。
旧ブログ名は「いなかのねずみ」です。
 
これまでありがとうございました。
そして、これからもどうぞよろしくお願いします。

「マンゴーの樹の下で~こうして私は地獄を生きた~」を見た

NHKで放送された、
「マンゴーの樹の下で
~こうして私は地獄を生きた~」を見た。

これは、もうすぐ放送予定のドラマと連動した
ドキュメンタリー番組で、
太平洋戦争末期、フィリピンの山中での
逃避行を強いられた民間人(と一部衛生兵など軍属)の
生存者の証言と、故人となった当事者が遺した手記などにより
構成されていた。

民間人の生存者はほとんどが当時子供だった方たちで、
あとは「なでしこ隊」という従軍看護師(無資格の方が
ほとんどだったそうだが)の一員だった女性、
衛生兵だったという95歳の男性などが
実名でインタビューに答えておられた。

中には100歳の方までいらしゃったのだが、
番組を見て非常に驚かされたのが、
皆さんの記憶の鮮明さだった。
しかも、その内容の非情さ、理不尽さ、
過酷さにも関わらず、
(一見すると)淡々と話しておられる様子に
衝撃を覚えた。

「一番末の弟を背負って逃げていた母親が
岩陰から出てきたら弟の姿がなかった」
「(一緒に塩を盗み出しに行った幼なじみが)
戻って2日後に死んじゃった」
「腕を負傷した同僚が点呼の時居なくなっていた。
衛生兵が『始末して来た』というのを聞いた」
「もう助からない人たちを注射で殺した。
自分もいざとなればモルヒネ注射で死ねるという
安心感があった」等々…。

「そんな、文字通りの『地獄』を見たのに、
どうやって戦後正気を保ちながら
この人たちは生きて来られたのだろう?」と
不思議に思うほど、
その方たちは淡々と「地獄」を語られたのだ。
中には穏やかな笑顔のまま、
「地獄」を語る方もいらしゃった。

番組で紹介された方の中には、
長年(多分60年くらいだろう)連れ添った妻さえ
「こんな話、初めて聞いた!」と驚くような話を
なさった方も居られた。
その方から繰り返し出た言葉は
「だって、ええ話じゃなか」。
そして、証言なさったほとんどの方の口から
共通して出た言葉は
「仕方がなかった「仕方ない」だった。

当時子供だった方たちも、
多感な10代や20代はじめの若者だった方たちも、
「地獄」で体験した数々の出来事の記憶を
「人に聞かせる話じゃない」と封印し、
「だって戦争だったんだから仕方がなかった」と
自分自身を無理にでも納得させて
戦後を生きて来られたのだろう。
どれだけ辛いことだったか…と思う。

この番組を通して一番印象に残ったのは、
日本人の父とフィリピン人の母との間に生まれた男性だった。
「敵方に通じている」というあらぬ疑いを掛けられた兄たちを
日本軍とフィリピン人ゲリラにそれぞれ殺され、
戦後はフィリピン人からいじめられたというその方は、
日本で学んだ後、フィリピンに戻ってマンゴー農園を開いた。
現在も非常に美しい日本語で流暢に話すその方は、
「戦前の日本人は本当に素晴らしかった。
素晴らしかった日本人の血が流れていることを、
わたしは誇りに思っています」とおっしゃった。
しかし、その言葉とは裏腹に、
非常に厳しい表情を最後まで崩すことがなかったのだった。

この番組、政を司る方たちは
ちゃんとご覧になっただろうか。
そして、ちゃんと理解なさっただろうか。
どんな「正義」という名の大義名分を振りかざそうが、
戦争は「地獄」を生む
(そもそも、その「正義」、戦争の相手方には
「理不尽なこじつけ」に見えるはず)。
とにかく、戦争という「地獄」に放り込まれ、
酷い目に遭うのは、常に庶民なのだ。
それがどれほどの意味を持つことなのかを
「殿上人」たちが決して理解しないというのは、
洋の東西を問わず、現在に至るまで
歴史が証明していることなのだけれど。

昆虫カタストロフィ

録画しておいた「昆虫ヤバいぜ!」をようやく見た。
(見逃した方のために説明すると、
「カマキリ先生」こと香川照之さんがMCを務める番組。
3年くらい前からNHKで不定期放送されている。
以前は「昆虫スゴイぜ!」だった…と思う。)

その中で紹介されていた
「昆虫カタストロフィ」が非常に衝撃的だった。
それは、ザックリ言うと、全世界規模で
昆虫が激減している、
その割合は年2.5%にもなっている…というもの。

「昆虫ヤバイぜ!」では「無知で昆虫嫌いなおねーさん」役が
「虫なんか居なくなったって
別に困んなくなーい?」的な質問を
全国民を代表してしていた。
もちろん、昆虫が居なくなるのはものすごい危機を生むわけで。

「危機」の内容として紹介されていたのは
食物連鎖を底辺で支えている存在がなくなる
 →生物全体の存在の危機
・植物の繁殖を手伝っている存在がなくなる
 →80%もの植物が繁殖できなくなる
・「スカベンジャー」としての存在がなくなる
 →動植物の死体が分解されなくなり、疫病などが大流行する

「カマキリ先生」が熱弁を振るっていた通り、
「昆虫カタストロフィ=人類カタストロフィ」と言っても
過言ではないほどのすさまじい危機なのだ。

これを見て、ハッとした。
今年の夏は草むらで鳴いているはずの
虫の声が全くと言っていいくらい聞こえない。
セミの声がやたらとうるさいから気付かない人が
多いかもしれないけれど(うちの夫もそう)、
東北地方某所のここは例年ならすでに
朝晩は「秋」の気配が漂い始めていて、
コオロギなどが鳴いているはずの時期なのだ。
それに、一昨年から「アメリカシロヒトリ対策」のための
消毒をしに町内会のじいちゃんたちが来なくなったけれど、
桜の大木にアメシロの巣が一つも出来ていない。
その他にも、ここに住むようになった頃(10年前)は、
何の幼虫か分からない、
派手だったり地味だったりする毛虫が
いろいろ歩いているのを見たものだけれど、
それも数年前からぱったりと見かけなくなった。
それと、生ゴミ回収の日でもゴミ置き場に
ハエが居なくなった。
飼い主たちが放置する犬のウン〇
(田舎では本当に飼い主のマナーが悪いのだ!)だって、
10年前は遠くからでもワンワンたかっているハエの存在で
「あ、あそこにウン〇があるんだな」と気付けたのに、
今ではすぐそばへ行くまで気付かなくなった。
こんな田舎でも「昆虫カタストロフィ」が
確実に進行していると思う。

…やっぱり、お庭に砂利を敷いてちゃいけないな。
余分な土地にはそこの風土に合った
草木を植えるのが喫緊の課題ではなかろうか、と
思った次第。

砂利敷きの庭の家

近所に住んでいたおじいさんが亡くなり、
主を失った家が取り壊され、新しい家が建った。
新しい家の庭には木が一本も植えられることなく、
一面に砂利が敷き詰められた。

…うーん、やっぱりかあ。

最近、新しく建てられる家のほとんどがこうなのだ。
コンクリートで固めた車寄せに、一面砂利を敷き詰めた庭。
木も草花も全くない家ばかりになった。

建てられてから10年以上経っている家には、
木や草花も生えているが、
それ以上に雑草が生い茂っているところがほとんどだ。
そのころ流行りだったらしいウッドデッキは
どこの家でもほぼ手入れされることなく放置され、
汚らしくなったプラスチック製の椅子やテーブルが転がっている。
元は真っ白かったらしい表面に付いた
雨水の流れた跡が、まるで薄汚れた涙みたいだ。

どの家も、平日の日中は人影がない。
働ける人は老若男女みんな働きに出ているから。
土日は3ナンバーの大きな車に家族全員が乗り込み、
ショッピングモールへ1週間の買い出しに出かけるため、
週末は週末で誰も家にはいないのだけれど。

だから、せっかく庭に草木を植えても、手入れする人手も
時間もない、雑草が生えたら見栄えが悪いし、
そうなったら一番理にかなっているのは…ということで、
最近の家の庭は砂利敷きになっているみたいだ
(「防犯」の役にも立つのかも知れないが、
この田舎でそれはちょっと考えづらい)。

でもでもでも…と歩きながらわたしは思う。

こんなにも「温暖化」が問題になっていると言うのに、
家の庭に草木を植えないのってどうなんだろう。
ご存知の通り、草木は二酸化炭素を吸って
酸素を出してくれる有り難い存在だ。
1軒1軒の庭の面積は小さくても、
「ちりも積もれば山となる」って話だってあるんじゃなかろうか。
手入れが行き届かずに
雑草が生い茂る「ジャングル」状態になったとしても、
「温暖化」抑止効果が非常に高まったということで。
それに、昆虫の棲み処にもなるだろうし、
鳥たちだって来るようになるだろう。

…とは言え。
今の世の中、それは難しいことなのだろうと思う。
仙台の実家だって、両親が亡くなったあと、
手入れをする人が居なくなった途端、
「落ち葉」やら「害虫」やらについて近所の人から
苦情が来たとかで、父が亡くなってすぐ
まず庭の木をすべて伐採し、1周忌も待たずに
家を取り壊してアパートにしちゃったんだから
(そう言えば、姉が建てたそのアパートの敷地も
一面砂利敷きだったような)。

「新しく建てる家の庭には、必ず常緑樹と
落葉樹を最低でも1本ずつは植えなくてはならない」
という罰則付きの法律でも出来ない限り、これから先、
砂利敷きの庭の家がどんどん増えてしまいそうだ。

静まり返った夜


今夜も寝苦しい。

涼しくなったかと窓を開けてみたら

外はねっとりと粘りつくような暑さだった。


…うん?

何かおかしいぞ…。

…おやっ?!


外はしーんと静まり返っていて、

何の音も聞こえて来ないのだった。

例年ならあちこちの草むらから聞こえて来るはずなのに、

虫の鳴く声が全く聞こえない。

蛙の鳴き声も全然聞こえて来ない。


これも「温暖化」のせいなのだろうか?

ただ粘りつくような暑さがあるだけだなんて。


静まり返った夜なんておかしい。

こんなの、絶対におかしい。


子供は本当に静かに溺れます

長野県佐久市の小児科医たちのツイートが
話題になっているそうだ。

「おぼえておいて!
子供が溺れるときは
静かです!」というタイトルが付けられ、
子供が静かに沈んでいく様子がイラストで説明されている。

実は、わたしも静かに沈んで溺れたことが2回ある。
どちらも3歳前後だった頃のことだと思う。

一度目は町内のお寺にあったプールで。
近所の小さい子たちが水遊びさせてもらえることになり、
浮き輪を持って遊びに行ったわたしに、近所の男の子が
「ボク、浮き輪が無いからプールに入れない」と言った。
それを聞いたわたしは、何を思ったのか、
「わたし、泳げるから浮き輪貸してあげる」と言い、
その子に浮き輪を渡してプールへ入ったのだ。
テレビで見たように手を動かせば泳げるはず!と
おかしな自信があったから浮き輪を貸したのに、
当然泳げるはずもなく、わたしはそのままプールの底へと沈んで行った。
途中、「上から見たときは真っ白くてきれいに見えたけど、
プールの壁って結構汚いんだな」と思いながら、
ボコボコザラザラしてところどころ塗りがはげた
壁を凝視していたのを覚えている。

幸い、近所の人の誰かが気付いてくれ、
わたしはすぐに引き上げられた。
「何やってんの、あんたは!
泳げもしないくせにいいフリして、
どうして浮き輪貸したりしてんの、あんたは!」
火の出るような勢いで母に叱責されたけれど、
わたし自身に「危ない目に遭った」という意識は全くなく、
「プールの壁って結構汚かったな」
ということばかりが思い出として残った。

さらに、自宅のお風呂で溺れかけたこともあった。
姉と二人でお風呂に入っていて、
浴槽の中に沈めた風呂桶に座って遊んでいたのだが、
身体が軽かったため、風呂桶の浮力に負けてしまった。
コロン!と横向きになって沈んだわたしは、
タイルが貼られた穴(沸かしたお湯が出て来るところ)を
「何だか暗くて気味が悪いなあ」と思いながら見ていた。
このときは、確か姉が父を呼んだのだと思う。
つかみ上げられるようにして風呂から出るときに
「ザバーッ!」という音がしたのがいつまでも耳に残った。

2回とも、妙に落ち着いていた、と言うか、
「大変なことになった」という意識が全くなかったことを覚えている。
目を開けたまま静かに水底に沈み、目の前にあるものを
静かに見つめていただけだったのだ。
佐久市のお医者さんたちが注意喚起している通り、
バチャバチャと暴れたり、大声を出したりはしなかった。
幸い、すぐに助けられたから、今こうして呑気にブログの
記事にしていられるけれど、もう少し助けが遅れれば
3歳で死ななければならなくなるところだったと言うのに。

連日暑い日が続いているし、水辺へお子さんを連れていく機会も
多くなる時期だと思う。
「子供は声も立てずに静かに沈んで溺れてしまうもの」
ということを肝に銘じて、一緒に行く大人の方は
一瞬も目を離さないようにして欲しい。

※元記事ではありませんが、
 こちらから佐久市のお医者さんたちの記事が読めます。


Cちゃんは○○〇を見つめて泣くのだった

昨日のこと。
さっきまで仲良く遊んでいたはずのお子たちが
急にざわつき、「先生!Cちゃんが泣いてます!」
急いでそばへ行ってみると、
年長さんの女の子、Cちゃんが確かに泣いていた。
「どうしたの?」と周囲の子に尋ねるまでもなく、
辺りに居た子たちが口々に
「Cちゃんがお人形投げたんだけど、
それをDくんが注意した口調がちょっと強かったら、
Cちゃんが泣いちゃったみたいなの」と教えてくれた。
「そうなの?」と尋ねても、Cちゃんは泣いていたのだが、
その泣き方にちょっと不自然な印象を受けた。

Cちゃんはその場に真っすぐ立ったまま、どこかを見つめて
ただ涙を流しているのだった。
確かに涙は流しているものの、悲しそうな印象はまったくなく、
まるですーっと立っているお人形の顔の表面を
水が流れているような感じ。
どんな言葉を掛けてもわたしの方に注意を向けることなく、
声を出すこともなく、どこか一点を見つめながら
ただただ涙を流し続けている。

Cちゃんの視線の先にあったのは、「鏡」だった。
Cちゃんは涙を流す自分の姿に見入っていたのだ。
「…こんなに素敵な赤いワンピースを着て来たのに、
いつまでも涙をぽろぽろしていたらせっかくのお姫さまが台無しよ」
そう声を掛けたら、初めてわたしに注意を向けた。

おやつの時間、延長保育の時間、
Cちゃんが泣く場面を何度か見たことがある。
Cちゃんは、必ずと言っていいほど、声を出さずに泣く。
何の感情も浮かんでいないような顔のまま、
ぽろぽろと涙を流すだけなのだ。
相手に大声で抗議することもない。
わんわんと泣き声を上げることもない。
サイレント映画の中の女の子であるかのように、
音を立てずに涙を流すだけなのだった。

Cちゃんの家は必ずパパがお迎えに来るのだが、
お迎えに来ても声を掛けるでもなく、
ただ黙ってそこに立っていることが多い。
でも、パパの姿に気付いた途端、Cちゃんはギクッとした様子で
大慌てでお帰りの準備をし、大抵は笑顔もなく帰って行く。
以前、折り紙をしている最中にお迎えが来たとき、
Cちゃんが珍しく「折り終わってから帰りたい」と言ったことがあった。
すると、パパは「ママが車で待っているんだぞ」と低い声で答えた。
Cちゃんが黙って折り続けていると、パパはもう一度低い声で
「ママが駐車場の車で待っていると言ってるんだ」と言い、
Cちゃんの腕を取った。
その途端、Cちゃんの顔が一瞬苦痛の表情で歪んだような気がしたのだ。
一度だけだったし、確証は無いのだけれども…。

ここはものすごい田舎なので、作業着姿でお迎えに来るパパママも多い中、
Cちゃんのパパはいつもきっちりとしたスーツ姿。
いかにも「インテリ然」とした見た目のパパなのだけれど…。

Cちゃんのどこか不幸せそうな雰囲気に、
引っかかるものを感じてしまう、おばちゃん先生なのだ。