まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

小学生が書いた「ごんぎつね」の感想文が物議を醸しているらしい。

なんでも、とある人の小学生の姪御さんが書いた「ごんぎつね」の感想文が、
ネットで取り上げられて物議を醸しているらしい。
その感想文で主に問題になってるのは、
・悪いことをしたんだから、報いを受けるのは当然
・こそこそ罪滅ぼしするなんて汚いやり方をしたごんは、
 撃たれて当たり前
という2点だという。
それに対して、
「個人がどういう感想を持とうが自由だ」と言う人がネット上に沢山いてびっくりした。
 
でもね・・・。
今はこの子みたいな感想を持つ人がマイノリティーだからいいけど、
世の中がそういう感想持つ人ばっかりになった社会を考えたら、
暗澹たる気持ちにさせられる。
どういうバックグラウンドでそういう感想を抱くようになったのか、
しかもまだ小学生のうちに・・・。
 
わたしは「ごんぎつね」を読むたびに、
自分がお話の世界に入ってしまう。
撃たれたごんが倒れる姿を見、
鉄砲の火薬の匂いを嗅ぎ、
鉄砲を取り落とした兵十の表情を見る。
「とり返しのつかないことをしてしまった・・・。」という表情の兵十を見てもどうにも出来ない自分が、
いつも辛くて悲しくて、涙がぼろぼろとこぼれる。
この話を初めて読んだ小学校の頃から、
誰かと理解し合うことの難しさ、
そこから生まれてくるどうしようもない悲劇や理不尽さといったものを、
漠然とながら感じていたように思う。
世の中に存在する「哀しさ」とでも言ったらいいか。
 
ゲーム世代の子供たちには、
もはやそういった心の機微を理解することは不可能になってしまったのだろうか。
気に食わない相手は蹴落とす。
抹殺する。
弱さややさしさを見せた方が負ける。
実は、人間の世の中はそういう非情なルールで動いている。
だからこそ、昔は子どもたちにはそういう世の中の辛い現実を見せないように、
希望や夢や思いやりややさしさ、そういう「理想の世界に必要なもの」を、
子供たちだけには持たせようと努力するのが大人だったように思う。
ある意味、偽善だったのかもしれない。
でも、それはそれで必要なことだったんじゃないのかなあ。
今みたいに、大人の価値観と子供の価値観とが大差ない世界って、
大人にとっても息苦しいものになってしまってる気がするけどなあ。