まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「レ・ミゼラブル」を娘とみた。

レ・ミゼラブル」を娘とみてきた。
 
・・・これ、俳優さんたちがライブで歌った歌声を使ってるんだってね。
すごい。
すごすぎる。
ヒュー・ジャックマントニー賞もらったこともあるって知ってたけど、
アン・ハサウェイって「ラックス・スーパーリッチ」ってやってた人でしょう?
歌手ってわけじゃないのに、あの歌の凄さ。
びっくりした。
 
映画自体は・・・長すぎる。
途中でお尻が痛くなってしまい、映画に集中できなくなってしまった。
全編音楽と歌で綴られる物語にこちらの集中力がもたなくなってしまったような・・・。
(中学生の娘は「腰が痛くなった!」とこぼしていた。)
それに、昔少年少女世界名作全集で読んだ「あゝ無情」と比較しても、
お話に深みがなく、結構薄っぺらくなってる感が否めなかった。
(だからこそ、この映画の原作者名はヴィクトル・ユゴーではなくなってるのだろうが。)
 
しかし、他のブログでも書いておられる方がいらしたが、
アン・ハサウェイが歌う「夢やぶれて」を聴くだけでも、
入場料を払う価値があると感じた。
この長い長い作品全体を通してわたしが一番感動したのが彼女が歌う場面だった。
愛する娘のために髪を売り歯を売り、
とうとう身を売るところまで堕ちた女性が絶唱する歌。
スーザン・ボイルが歌っていた美しい「夢やぶれて」とは全く違う凄絶な歌唱だった。
ビリー・ホリデイの「I' m a fool to want you」(アルバム「レディ・イン・サテン」収録)
を初めて聴いたときのような、
魂をグーッと摑まれて激しく揺すぶられるような荒々しい感動に久しぶりに襲われた。
アン・ハサウェイ、恐るべし。
可愛くて髪が美しいだけの人じゃなかったんだなあ。
 
それにしてもパリ・コミューンってあんな感じだったんだなあ、と思った。
社会格差に怒った学生たち(多分みんなブルジョワの子弟たちか)がバリケードを作って蜂起、
しかしそれに共鳴して武器を取り立ち上がる市民はなく、
結局彼らは鉛玉の雨を浴びて血の海の中に倒れてゆくこととなる。
(石畳の街だと文字通りの血の海になってしまうのだった。)
 
いろんな映画評で書かれていたほど、
ラッセル・クロウの歌はひどくはなかった。
でも、歌うので精一杯だったんだろうなあ、と思わせるものはあったけど。
(確かラッセル・クロウは自分のバンドを持ってて、
数枚CDも出してるはず。)
それに、わたしのイメージではジャベール警部って爬虫類のイメージなんだけど、
ラッセル・クロウはどう見てもライオンのイメージだしね。
ジャベールの暗くねっとりとした雰囲気はラッセルには出せてなかった気がした。
L.A.コンフィデンシャル」を見てラッセルに一目ぼれしちゃったわたしとしては残念!だったかな。
 
娘はこの映画を見て「原作を読んでみたい」と思ったようだ。
鉄は熱いうちに打て、早速抄訳ではあるけれど、とっつきやすい訳文の文庫版を買ってきた。
娘はアンジョルラスとエポニーヌが気に入ったらしい。
いきなり原作から入るのは大変だから、
その入口としてこの映画を子供と見るのもいいかもしれない。
(ただ、ちょっと際どい台詞や場面があるので、中学生以上限定だと思う。
第一小学生だとあんな長時間集中していられないかも。)
 
恒例の野球にたとえると、あわや本塁打か!という強力な当たりだったが、
フェンスに当たって二塁打
 
(映画の予告について。
この映画を見る前に「World War Z」という作品の予告が入ったけど、
いくらブラッド・ピットが出てるからって、
ああいう作品の予告を「レ・ミゼラブル」に先立って流すのはやめてもらいたいと思った。
映画館の人はもう少しデリカシーを持っていただきたい。
第一、ああいう絶望的な近未来を描く映画を作る人って、
一体どういう意図があって作ってるんだろうかっていつも疑問に思う。
映画を地獄を見せる道具にするのはもう止めてもらいたい。
ヒューゴの不思議な発明」を見てくれよ!と言いたい気分だ。)