まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「スムーズ」な子育て

昨日のこと。
近所のドラッグストアに出掛けたら、店内がものすごくやかましかった。
見ると、会社帰りらしい女性にショッピングカートに乗せられた3歳くらいの女の子が、
ギャンギャン泣き叫んでいるのだった。
「ママ・・・降ろしてよう・・・歩きたい・・・ママってば!!!」
女性は凍りついたような表情のまま、無言でカートを押して買い物していた。
女の子はものすごいエネルギーでわめき続ける。
女性は無言で買い物を続ける。
わたしが店内にいた20分以上の間、結局女の子は泣きわめき続けていた。
わたしはドラッグストアを出て近くにあるスーパーに行った。
しばらく買い物をしていると、急に店内がやかましくなった。
あの女性が、また女の子をカートに乗せて買い物を始めたのだった。
「ママーっ!!!降ろしてーっ!!!ママったらーっ!!!」
 
多分、あの女の子はエネルギーが有り余ってる子なんだろう。
カートから降ろしたら最後、店の中を走り回り、商品の山を崩し、
他のお客さんにぶつかり、勝手に商品を手に取って壊し・・・。
仕事帰りの女性はきっと急いで買い物を済ませて家にもどりたいのだ。
スムーズに買い物を済ませ、家に帰るためには女の子をカートに乗せるしかないのだろう。
その気持ちは痛いほど分かる。
そして周囲の刺すような視線にどんな気持ちで耐えているのかも。
 
でも、それは分かった上でやっぱり女性の取ってる行動は間違ってると思った。
そういう目先の「スムーズさ」を優先する子育てが、
思春期以降子供と上手く行かなくなる原因ではないか、
さらには子供が成長していく過程で感じる「生きづらさ」の原因ではないかと思っているから。
 
店の中ではきちんと手をつないで歩く。
「それ、カゴに入れて」と言われたもの以外には触らない。
買う気の全くないものは試食しない。
わめいたり、走り回ったりしない。
そういうことを「なぜ、そうしなくてはならないか」
「守らないとどういうことになって、それがどういけないのか」
をきちんと説明して納得させ、守らせるようにするのは本当に大変だ。
まさしく「スムーズ」の対極にある行為。
何度言っても分からない。
何度言っても守れない。
でも、粘り強く、あきらめずに、分かるまで教え続ける。
きちんと出来たらほめる。
約束を守れなかったら買い物を切り上げて店を出てしまう。
たまにはごほうびで釣る。
そうやって分かるようになるまで、繰り返し、繰り返し、根気強く教え続ける。
時間と忍耐力がメチャメチャ必要な作業だ。
でも、そうやって教えると、子供の中に応用の利くルールが定着する。
店の中だけでなく、病院でも、電車の中でも、
公共の場所ではどう行動すべきかが言われなくても分かるようになる。
 
子供に物事を教えるのには、一事が万事、時間と忍耐力が必要だ。
それをすっ飛ばす魔法の言葉が「スムーズ」なのだと思う。
現に育児雑誌の紙面には「スムーズ」という言葉があちこちに躍っている。
「スムーズな断乳」「歯ブラシにスムーズに移行するには」
「スムーズなトイレトレーニング」・・・。
でも、「スムーズな子育て」は生身の人間同士のぶつかり合いという、
子育ての本質を捻じ曲げるものだと思う。
人間関係には本来摩擦がつきものだ。
人が二人いれば誤解が生じ、トラブルも起きる。
それをどうやって乗り越え、納得して、いい関係を作っていくか、
それを子供が初めに知るのは親子関係を通してなのではないだろうか。
ザリザリとした摩擦や分かってもらえない辛さ、
そういう子供の心に寄り添いつつ、世の中のことを一つ一つ子供に教えていく、
それこそが子育てなのではないだろうか。
そうやって育った子供は成長してからも、他人との摩擦や誤解などを
きちんと乗り越えて生きていける大人になれるのではないだろうか・・・。
 
そんなことを考えつつ、女の子のわめき声が響き渡るスーパーを後にした。