まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

待ってたよ。

昨日のこと。
機嫌よく洗濯物を干していたわたしの許へ、
風が微かな香りを運んできた。
ん???
おっ?!
ああっ!!!
 
間違いなく、それは金木犀の香りだった。
わたしがこの世で一番好きな香り。
一年間待ち望んでいた季節がようやくやってきたのだ。
大変だ。
自転車で遠回りして、馴染みの木を廻りながら買い物しなくちゃ。
 
金木犀は奥ゆかしい。
庭の目立たないところに植えられていることが多い。
花の時期以外の金木犀はごく地味で、
あまり特徴のある木ではない。
それが、花が咲くとどうだ。
「ここにいるよ。」
「ここに咲いてるよ。」
そこここで金木犀の花が主張する。
隠れようとしたって、風がその芳しい香りを周囲に運んでしまう。
 
金木犀の香りを嗅ぐと、毎年思い出す光景がある。
息子がまだ小さかった頃のこと。
わたしは仙台の実家の近くにある公園へ息子と手をつないで向かっている。
空はきれいに晴れわたり、心地よい風が吹いている。
・・・と、その風が金木犀の香りを運んできた。
辺りを見回すと、道路の向かい側のお庭に大きな金木犀の木。
辺りは幸福なオレンジ色に包まれている。
平和で穏やかなことこの上ない秋の一日。
わたしはそのときこう思った。
「ああ、今日はなんということもない一日だけれど、
きっと今日のこの幸せを何年経っても忘れられずにいるような、
そんな一日になるに違いない。」
そして、それは事実そうなった。
わたしはあの年以来毎年、金木犀の香りを嗅ぐと必ず、
あのなんということもない、平和で穏やかな秋の一日を思い出すのだ。
 
金木犀の季節は短い。
あの小さな星のような花はあっと言う間に香りを失い、
はらはらと落ちてしまう。
だから、わたしは遠回りしながら買い物への行き帰り、
馴染みの木を廻るのだ。
「待ってたよ。」
そう心の中で呼びかけながら。