まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

だらパン

あれはわたしが小学校1年生だったときのこと。
同級生に「だらパン」とあだ名される女の子がいた。
仮にAさんと呼んでおこうか。
Aさんはいつも宿題を忘れてきた。
持ち物もしょっちゅう忘れてきた。
勉強が全然出来なくて、いつも立たされていた。
しかもなんとなく薄汚れていて、短い吊りスカート(ワカメちゃんが穿いてるようなの)からは、
いつもパンツがだらんと垂れ下がっていた。
伸縮性のない、普通の白い布で出来たパンツが。
だから「だらパン」。
わたしが小学校に入る頃には、既製品で伸縮性のあるパンツが普通に売られていた。
だから、Aさん以外にそんなパンツがだらんと出ちゃってる子は一人もいなかった。
Aさんはみんなから仲間はずれにされていた。
休み時間もいつも一人でぽつんとして、ただ自分の席に座っていた。
 
そんなある日。
クラスの男の子に「フロウシャを見に行かない?」と誘われた。
わたしは「フロウシャ」がなんなのか分からなかったけど、
その謎めいた言葉になんだかドキドキしてついていくことにした。
「フロウシャ」は学校の近くの空き地に止まっている古いトラックで
寝泊りしているらしかった。
わたしたちはドキドキしながらトラックをのぞきこんだ。
中には古い布団や毛布みたいなものが見えたけれど、
肝心の「フロウシャ」は留守みたいだった。
がっかりして帰ろうとしたとき、男の子が声を潜めて言った。
「あそこの家、誰の家か知ってる?」
 
水溜りでグショグショの空き地の奥に建っている傾いた古い平屋。
屋根は子供の目で見てもグニャグニャで、しかも草がぼうぼう生えていた。
「あそこ、A子んちだぜ。あそこにばあちゃんと二人で暮らしてんだって。」
それを聞いた瞬間、わたしはAちゃんに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
そうか、宿題や持ち物を忘れてくるのは、お母さんがいないからなのか。
だらんとしたパンツを穿いてくるのは、
おばあちゃんが縫ってくれたからだったんだ・・・。
子供だったけれど、わたしの心はちくんと痛んだ。
 
でも、わたしはAちゃんに「仲良ししよう」って言えなかった。
独りぼっちでぽつんとしてるAちゃんを申し訳ない気持ちで見てただけだった。
ほどなく、Aちゃんはどこかへ転校していった。
わたしは今でも小さな女の子用の白いパンツをみるたび、
胸がちくんと痛まずにはいられないのだ。