まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

永遠の少年、高倉健さん

昨夜NHK総合で放送された「プロフェッショナル仕事の流儀 高倉健インタビュー」を見た。
驚いた。
高倉健と言う人に対して長年抱いてきたイメージが、
非常にいい意味で裏切られた。
高倉健という人は、何と言ったらいいか・・・81歳の少年だった。
 
「・・・不器用ですから。」というコマーシャルの印象があまりにも強烈過ぎたのか。
網走番外地」などの任侠映画や、その後の映画で演じ続けてきた役が、
どれも似通っていたためなのか。
高倉健という人を、わたしは無口で、無骨で、頑固な人なのかと思っていた。
さまざまな人がトーク番組などで語る断片的なエピソードから、
真面目で、誠実で、親切な人となりは知っていたものの、
「偏屈でとっつきにくいが、実は親切な人」のようなイメージを抱いていたのだ。
だからこそ、テレビに出てくることもなく、謎めいた存在で居続けるのだろうと。
 
高倉健さんはお茶目で、いたずらっ子のような面を持っていた。
そして、年下の俳優にも、スタッフにも、(ロケ先で出会った一般人にも)、
敬意を払い、誠意を尽くす。
心を許し、いい関係を作る。
うつ病?で長期休養をしていたナイナイの岡村さんにも
手紙をあげて励ましたりしていたらしい)
そのやり方が、なんとも言えずにスマートで嫌味がない。
石原裕次郎のような、金ピカ感がない。)
どう表現したらいいのか分からないけど、
何だか清らかな川のような人だと思った。
 
昨日の番組の中で一番驚いたのは、
最新作「あなたへ」の撮影中、
大滝秀治さんのたったひと言だけの短い台詞に高倉健さんが感動し、
涙をながしていたことだった。
あんなご高齢なのに、まるで少年のような瑞々しい感性を持っている。
「瑞々しい」。
そうなのだ。
高倉健さんはその「枯れた」外見とは裏腹に、非常に清らかで瑞々しい人物だったのだ。
透明感があり、さまざまな色合いを持ち、しなやかで、
そしてもちろん真摯であり、誠実であり、一途であり・・・。
テレビに出ないのは、高倉健さんが偏屈だからではなく、
テレビに出て自分を安売りするような人たちとは次元が違う人だからなのだと思った。
まるで汚れを知らない少年のよう。
汚れることなく、どんどん智慧だけを蓄積して人間性を深めているひと。
 
だからこそ、番組の中でビートたけしさんが言っていたように
高倉健さんはどんどん孤独になっていっている」のだろう。
残念ながら世俗の垢にまみれた一般世間では
「水清ければ魚棲まず」なのだ。
56年も俳優をやっていれば、心ない誹謗や中傷に傷付くこともあっただろう。
高倉健さんを愛している人たちが俳優の中にも沢山いるにも関わらず、
あまり高倉健さんのいろいろな逸話を吹聴したりしないのは、
高倉健さんとの関係が大切な宝物だからこそなのだろう。
そっとしまって大切にしておきたい、自分だけの心の宝物。
高倉健という人は、直接関わった人に、そういう気持ちを抱かせるひとなのだろうと感じた。
 
「あなたへ」は、夫が一人で見に行った。
曰く「不可解」。
感動したわけではなく、首をひねりながら帰ってきた。
だから見に行くかどうか迷ってたんだけど、
昨日の番組を見て是非見に行こうと決めた。
「あなたに褒められたくて」という高倉健さんのエッセイも、
ネット書店でもう注文してしまったし。
 
なんて素敵なひとなのだろう。
 
*こんな駄文の中でも最大限の敬意を表したいと思い、
あえてフルネームで表記しました。