まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

地球がスカスカになったりしないの?

シェールガス、というものが注目されているらしい。
なんでも、今まで存在は知られていたものの
取り出すことができなかった硬い岩石中に含まれるガスのことで、
これを利用できるようになればエネルギー問題は解決するとか。
原発依存から脱却したい日本も、これに飛びつこうとしているらしい。
 
ちょっと待ってくれよ、そんなものをどんどん掘っちゃって大丈夫なのかい?
昔高校の地学の時間、ウェーゲナーの大陸漂移説ってのを習った覚えがあるんだけど。
それによると地殻はマントルの表面に浮いてるような状態で、
少しずつ移動しているものなのだと。
(違ったかいな?)
ただでさえ、人間は天然ガスやら、石油やら、地球が風船だとしたら、
どんどん空気を抜くみたいにいろんなものを掘って使っちゃってるんだよね。
硬い岩石中にあるガスを大量に抜くことによって、
思いもよらない地殻変動が起きたりするって可能性はないんだろうか?
 
わたしは、時々人間というものが空しく感じられて仕方がなくなる。
人間は何一つ生み出すことは出来ない。
人間が「作った」と主張しているものは全て、
地球から取り出したものをこねくり回し、捻じ曲げたものばかり。
生態系は完璧なリサイクルシステムを持つが、
人間が「作った」ものはただゴミになるばかりである。
そして、人間が活発に活動すればするほど、地球はやせ細っていく。
 
わたしがまだ小さかった頃、オイルショックというものがあった。
お店からは品物が消え、「石油はあと20年で枯渇する」と言われていたし、
現に学校でも「石油は遠くない将来枯渇する」と教えられた。
それがどうだろう。
オール電化の家、24時間営業の店、各家庭に自家用車・・・。
まるで地球から無尽蔵にエネルギーが取り出せるかのような錯覚を覚えるくらい、
わたしたちの暮らしは未だに石油をがぶ飲みしている。
深い深い海の底から、硬い硬い岩石の層から・・・。
地球から最後の一滴までエネルギーを搾り取ろうとするかのように、
わたしたちは石油を求めて悪あがきを続けている。
世界中で石油の権益を巡っての衝突も絶えない。
尖閣諸島の問題だって、これが原因だ。)
 
これでいいのだろうか?
シェールガスさえあれば、エネルギー問題は一挙解決って、違うんじゃないのか?
有限のものに手をつけてしまえば、いずれは枯渇する日がやってくる。
環境に負担をかけないエネルギーの開発を急ぎつつ、
わたしたちの生活や人間の活動自体を見直していかなければ、
子々孫々の代まで今の生活を手渡しすることは不可能なのではないだろうか?
 
「無限のエネルギー」と聞いて思い浮かぶのは、太陽エネルギーだ。
大気圏外で太陽エネルギーを受け、それを効率よく地上に送ることさえできたなら・・・。
イメージで言えば、「未来少年コナン」の三角塔。
本当に、あれが実現できたなら、すごいんだけどなあ。
・・・あっ。
あんなものを作ってしまったら、エネルギー資源としてではなく、
最終兵器として利用されてしまうか。
どこまで行っても人間って、ダメな生き物だな・・・。
 
そんなことを考えてるわたしが、図書館で偶然
カート・ヴォネガットの「国のない男」と言う本を借りて読み、
ものすごい衝撃を覚えたわけで・・・。
「国のない男」についてはまた今度。