まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

うちの子供たちが小さかった頃ゲームをさせなかった理由

うちでは息子が小6になるまでゲームをさせなかった。
男の子だったし、ゲームがないからと、時々仲間外れにされてたのも知っていた。
友達のゲームを借りてこっそりやっていたことも。
でも、家でゲームの機械を買うことはなかった。
 
それはなぜかというと・・・。
わたしが学校の教師をしていた頃痛切に感じたことがあったから。
小さい頃からゲームをさせていると、子供の創造力が阻害される。
 
わたしは新卒で小学校6年の担任になったから、
クラスの子供たちと10歳くらいしか年が違わなかった。
わたしが教師になって愕然としたのは、子供たちの企画力のなさだった。
クラスで「お楽しみ会」を」しようということになっても、全く企画が出てこない。
ヒントとして何か企画を提案しても、それを形にするのに何から手をつけていいのか分からず、
いちいち指示されないと何一つ出来ないし、出てこない。
わたしが小学生だった頃には、クラスに数人は企画力のあるヤツがいたし、
いざそれをやろうということになると、段取りしたり、人を動かしたりするのが上手なヤツがいて、
クラス全体を何とか引っ張って行ってた。
それが、企画するヤツも、それを形にするヤツもいなかったのだ。
みんな、ひたすら指示を待ってるだけ。
うちのクラスだけではなく、他のクラスでもそうだよ、という話が学年の先生たちから出ていた。
たった10年の間に一体何があったのか・・・。
 
そうか、ゲームだ、と思い当たった。
わたしたちの世代は、ゲームの洗礼を受けたのが、もう大学生になってからだった。
ものすごく早い人でも、中学校に入ってから。
(ゲーム喫茶に行ってインベーダーゲームをして、先生にボコボコにされた人でも。)
家庭用のゲーム機が任天堂から発売された時、もう高校の終わりか大学の初めくらいだったはずだ。
だから、小さい頃はゲーム機で遊ぶことは物理的に不可能で、
友達と直接的なかかわりを持ちながら遊ぶことしかしてこなかった最後の世代だったのだ。
他人と関わって遊ぶには、漫然としてたらダメ。
勝敗にこだわってワーワーするヤツをどうやってなだめるか、とか、
足の遅い鈍くさいヤツだけ貧乏くじ引かせないためにはどうしたらいいか、とか、
いろいろ細かい調整力がないと、どんな遊びも成立しなかったのだ。
それに対してゲーム世代はどうか。
スイッチを入れればお楽しみが用意されているのだ。
あとはプログラマーがプログラムした流れに沿って遊ぶだけ。
これでは企画力も調整力も何も身に着かないのは当然のことだろう。
 
そう思ったから、子供たちにはゲームをさせなかった。
おかげでうちの子供たちは「変わり者」のレッテルは貼られるものの、
創造力や企画力はある程度身に着いたような気がする。