まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

冷温停止か、ニッポン

昨日の夜NHKEテレで放送された「日本のジレンマ」を少しだけ見た。
以前もこの番組は少しずつ見ている。
(どうして少しずつかと言うと、途中で見るのが苦痛になるから。
朝まで生テレビ」とは違った意味で見るのが苦痛だ。
朝まで生テレビ」は人の意見をちゃんと聞かずに、他人の話をさえぎって大声で話すオヤジに我慢ならない。
昨日の番組に出てきた若い世代の人たちは、他人の意見は最後まで言わせてあげてた。
ただし、「聞いてない」という意味合いでは、オヤジたちと大差ないかもしれないが。)
昨日は、これまでよりさらに若い、「1985年以降に生まれた論客」による議論だった。
 
1985年以降の生まれか。
うちの息子と10歳違わない世代。
そんな世代の代表として議論していたのは、高校生でIT関連企業を起業した実業家、
シンクタンク研究員、ブロガー、慶應大学なんちゃら研究所研究員兼会社役員兼東大大学院生、などなど。
いわゆる「普通の20代前半」ではない人々ばかりだった。
 
その人たちの議論を聞いていて感じたこと。
低体温。
そして「楽しく」を人生の重要なキーワードにしているけれど、
その「楽しく」は自分の周囲数メートルのごく狭い、閉じた世界の中だけの話で、
一応「ニッポン」というくくりの中で暮らしている人たちをどういった方向に導いていったら
みんなが「楽しく」なれるのか、さらには世界中の人たちが「楽しく」なれるために「ニッポン」が
どう動いていったらいいのか、といった俯瞰的な視点はほぼ感じられなかった。
 
ちょっと暗い気持ちになった。
こういう人たちが国を動かすようになっていったら・・・。
日本は落ちまいとあがきつつ坂を転がり落ちていくのかと思っていたが、違ったようだ。
このままでは、日本がたどり着く先は「冷温停止」じゃないかと思う。
すごいエネルギーを生み出す力は内包してるのに、それを生かすことを放棄した状態。
 
・・・どうなんだろう。
昨日の番組に出てたのは、若い世代の「勝ち組」の人たちだけだった。
そうではない、ごく普通の若い人たちは、同世代の「勝ち組」のああいう議論を見て、
一体どんなふうに感じているのだろうか。
ブラック企業に就職して悶え苦しんでる人とか、大学院を出ても正規採用にならない人とか、
一般企業に就職してる人とか、フリーターとか・・・。
これだけ情報が氾濫してる世の中では共通の価値観を持つこと自体、もう無理になってるんだろうか。
それこそが、バベルの塔の逸話が伝える、
「みんながバラバラの言葉で話し始め、意思の疎通が出来なくなってしまった」
という状態ではないのだろうか・・・。