まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

これが社会正義か?

大津市いじめ自殺事件についてネットで検索してみて驚いた。
いじめた側の少年たちの実名はおろか、
転校先や携帯番号、父親の勤務先や家族構成まで書かれている。
そしてそこには「拡散希望」の文字が。
 
これが社会正義か?
こんなことをして、
いじめた側の少年やその家族の中から自殺者が出たら
みんなで快哉を叫ぶのか?
これはネットを使った完全なるリンチである。
いじめた側の少年を、
顔の見えない無数の「善意の」市民が、
集団でつるし上げる。
 
彼らが行ったことは決して許されるべきことではない。
しかし、いくら行ったことが卑劣だったとしても、
日本は法治国家であることを無視していいわけではない。
法の裁きが下される前に勝手に彼らを裁くこともまた、
彼らの行い同様に許されるべきことではないのである。
 
わたしが危惧するのは、今回のいじめ自殺事件が誰か特定の人間をスケープゴートとして、
その人に罪の全てをなすりつけることで人々が満足し、
いじめ自殺という悲惨な事件を防ぐための根本的対策をあらゆる角度から検証することなく
終わってしまうことである。
「○○の母親がとんでもないモンスターペアレントだ」ということでネット上は騒然としているようだが、
いじめた側の親が「犯人扱いされて、うちの子の方こそ被害者です」なんていうのは、もはや日常茶飯事だ。
なぜ、そういう考えに至る親がかくも沢山存在するのか。
そういう恥知らずな発言を「恥」とも思わずに言ってしまえるのはなぜなのか。
なぜそういう親に学校側が毅然とした態度を取れないのか。
そういう親が子供に与える影響はどういったもので、
そういう親に育てられた子供と付き合うことで周辺の子供たちはどう影響されていくのか。
検証しなければならないことは実は山のようにある。
一人の人間をつるし上げて責任をなすりつければ同様の事件の再発を防げるほど、
いじめの問題の根は浅くないのだ。
 
冷静にいじめの問題を多角的に検証して有効な策を練ることこそ、
今求められる社会正義だとわたしは思うのだけれど。