まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「邪道」な読み聞かせ

ボランティア活動してる老人ホームで絵本を読んだら、
老人たちの目がキラキラになった。
「読み聞かせ、上手よねー。」と褒めてもらったけれど、
わたしには読み聞かせに関してちょっと辛い思い出がある。
 
長男が幼稚園に入ったばかりだった頃。
お母さんたちの読み聞かせグループに入ってたことがある。
その頃長男は妹が生まれてグレちゃってて、
読み聞かせを口実にして様子を見に行きたかったから。
小さい頃から読書が大好きで、読み方にちょっぴり自信もあったし。
 
それが、「読み方が邪道だ」とケチョンケチョン。
わたしの読み方は、登場人物一人ひとりの声を作り、
口調や読むテンポも結構変える読み方。
それが「邪道だ」と先輩お母さんから集中砲火を浴びた。
いわく、「子どもたちの想像力を阻害する。」
「お話の面白さではなく、読み手の面白さしか伝わらない。」
わたしが読むと、子供たちの反応が全然違って、目がキラキラになったんだけど。
言われたような読み方がどうしても出来なかったのと、
「絵本の読み聞かせさえしていれば、子どもはまっすぐ育ちます」みたいなことばかり言う、
「読み聞かせ教」の信者みたいなお母さんについていけないと思ったのとでグループを抜けてしまった。
 
サンプル数2(つまりうちの子どもたちだけ)だから、
あまり一般化してはいけないかもしれないけど、
平坦な読み方をすると子どもはほんの数十秒で飽きる。
「お話の内容」とかそういう部分に行き着くはるか前にお話の世界からどこかよそへ行ってしまう。
子どもにお話の面白さを伝えようと思ったら、
彼らの興味・関心をお話の中にひきつけて置かなければならない。
そのために一番有効なのは、
やはり「邪道」とされる読み方のように思う。
わたしは「邪道」な読み方で、
長男には中1の終わりまで、長女には小6の途中まで読み聞かせを続けた。
(子どもたちに「読んで!読んで!」と言われていたから。)
 
昔の紙芝居のことを考えてみたってそうじゃないかな?
紙芝居は「黄金バット」やらいろんな話を、
声色を使ってオモシロおかしく語って聞かせた。
それをかつての子どもたちは未だに忘れられずにいるのだ。
おじさんが面白かった、とかってことだけじゃない。
お話の筋自体を何十年経っても覚えているのだ。
みんなが興奮し、ワクワクしたその場の空気もひっくるめて、全て。
 
・・・まあ、老人ホームにいる方々については、
とにかく「刺激」を必要としているわけで。
わたしの読み聞かせのやり方がたとえ「邪道」だとしても、
あまり問題はない・・・と信じたい。