まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「天才Aくん」のこと

わたしがパートで働いている幼稚園に、
「天才」がいます。
彼は年長クラスにいるAくん。
造形の「天才」です。
レゴブロックなど、園にある「パーツを組み合わせて立体物を作る」感じの
知育玩具を駆使して、大人も驚嘆するような独創性のある作品を作り出します。
制作している間の彼は、まさしく芸術家。
たった独りで、黙々と作業に没頭するのです。
仕事帰りのママがお迎えに来ると、時々「見て~」と言いながら
自分の作品を見せ、ママがスマホで写真に収める、というのが
日常の風景になっています。

…と聞くと、ただの「素敵なお話」なのですが。
幼稚園には、当然Aくん以外の園児が沢山いる訳で。
その子たちとの関係性の中で見ると、
Aくんはトラブルの中心となることが少なくありません。

Aくんは、レゴなど自分の好きなおもちゃは、
全て自分が独り占めしないと気が済まないのです。
おやつの時間が終わり、延長保育の部屋へ移動するときは
いつもダッシュ、他の子たちを時に突き倒してでも先に部屋へ入り、
お目当ての知育玩具を自分の近くにザーッとぶちまけて、独占します。
あとは「か~し~て!」と誰かが頼んでも「だ~め~よ」。
相手が泣いたりしても、気にする様子もなく制作に没頭します。
Aくんに黙って使っていないパーツを持ち去ろうとする子に対しては、
相手が年少クラスの子だろうと、思いっきり突き倒し、
パーツをもぎ取ります。
当然、相手の子は大泣き。
でも、Aくんは気にする様子もなく制作に没頭します。
時には突き倒されても抵抗してくる子もいます。
そんなときには、手にしたブロックの塊や
プラスチック製の丈夫なケースなどで、相手をしたたか殴りつけます。
当然、相手の子は痛がり、身をよじって大泣きします。
でも、Aくんは気にする様子もなく制作に没頭します。
また、時々スペシャルな遊具(小さな跳び箱や
平均台、色とりどりのネットで作られたトンネルなどの
身体を使って遊ぶタイプのもの)が出て来た時などにも、
他の子の目には「お約束破り」としか映らないような、
自分流の楽しみ方(平均台の真ん中に自分の造形作品を置く、
狭いトンネルの中に寝そべって動かなくなるなど)を押し通そうとし、
それを止めさせようとした子に暴力を振るうので、
Aくんの周りで必ず大泣きする子が出るのです。

先生方はAくん周辺のトラブルをほったらかしにしている訳ではありません。
誰かが泣いたら、すぐに駆け付けるのですが、
Aくんは「だって、お友だちがやだなんだもん」と言い、
叱られれば「心ここにあらず」の体でそっぽを向き、
そのことを注意されれば天を仰いでパカっと口を大きく開け、
まるで赤ちゃんのように大泣きするだけ。
先生方がどれだけ言葉を尽くして
「お友だちと仲良くしなければならないこと」を説いても、
Aくんの心に沁みていく感じは全くなく、日々「やだなんだこと」をする
他の園児たちを暴力的に排除し、Aくん独りの世界に没頭し続けるのです…。

悲劇だなあ、と思います。
集団生活でなく、玩具を全て独り占めできる環境だったなら、
Aくんはただの「天才」でいられるのでしょうが…。
また、一対一の関係の中でなら、
Aくんともっと丁寧に「他人との接し方」の練習が出来るのでしょうが…。
幼稚園という環境の中では、先生方も「Aくん専属」という訳にはいかず、
どうしても対応が後手後手になってしまうのです。

来年小学校に入ったあと、色々と問題が起こりそうな気がしますが…。
今の日本の教育制度の中では、Aくんのような「異能児」を教育する術がありません。
長所は最大限伸ばし短所はカバーする術を学びながら、
Aくんらしく成長していく道がほぼないのです。
「出る杭」として、地面に激しくめり込むまで寄ってたかって打ち、
「出なくさせること」しか出来ないのが学校教育の現状なのです…。