まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

東北本線に乗って

仕事の出張の関係で、
久しぶりに上り「東北本線」に乗った。

一体何年ぶりか思い出せないくらいだ。
祖父母の家に行くために「仙石線」は数えきれないくらい乗ったけど、
東北本線」は旅行に行くときしか乗ったことがなかった。
はつかり」に乗って、食堂車でサンドイッチとコーンスープを
頼むのが本当に楽しみだった…。
はつかり」も「食堂車」も今は昔のこと、
東北新幹線が開業し、特急も急行もなくなって久しい。

「ワンマンカー」と書かれた電車に乗る。
昔住んでいた場所を走っていた第三セクター線は
1両か2両だったけれど、もっと長い編成での「ワンマンカー」だ。
仙台の次の「長町駅」の前には巨大なIKEAが見える。
そうか、この駅からすぐだったのか、バスで行ったから
分からなかったけれど。

東北本線」は駅と駅との間隔が空いている。
「名取」や「岩沼」は震災の折、津波でものすごい被害が出たところだ。
電車の中、入口上の目立つ場所に「津波警報が出された場合には」
という注意書きが貼ってあるのもむべなるかな、である。

「船岡」を過ぎる。
ここは「一目千本桜」で有名な場所。
4歳くらいの時だったのか、一度だけお花見に来たことがあった。
桜の素晴らしさよりも、すさまじい人出に圧倒され、
人酔いしたようになって母に叱られたっけ。
あれからもう50年近く経ってしまった。
土手にびっしりと並んでいるソメイヨシノはみな年老い、
ねじれた枝が絡まりそうになりながら冬に耐えている。
中には枯れてしまったのか枝が切られたものもある。
諸行無常」という言葉が頭をかすめる。

電車は白石川のすぐそばを走り、小さな駅に止まる。
川には無数のカモたちがのんびりと浮かんでいる。
数羽、ハクチョウの姿も見える。
鳥好きのわたしはガラス窓におでこをくっ付けるようにして目をこらす。

「白石」で電車を乗り換える。
新幹線が出来てから、直通列車が少なくなったのだろう。
駅のホームに、レンガ造りの「油倉庫」が建っているのが見える。
何やら木の板に解説らしきものが書いてあるのを見ると、
相当古いものらしい。
春節で日本へ来たのだろう、中国人と思しき家族連れが何組も降りたが、
そんなものには目を止めることなく通り過ぎて行く。

電車はゆっくりと走り出す。
「次の駅では先頭車両、運転席すぐのドアしか開きません。
お降りの方は先頭車両へ移動願います」
そうか、そうやってワンマンで運行しているのか。
降りる人も乗る人も、運転手さんに「切符持ってますよ」と
見せる必要があるもんなあ、と納得する。
小さな駅に電車は止まる。
降りる人も乗る人も誰もいない。
人の足跡のない雪の上に、何か動物の足跡が一筋、
ホームの先の茂みへ続いているのが見えるだけだ。

電車にはほとんど人が乗っていない。
その少ない人も、皆わたし同様に連れもなく独りだ。
ガランとした車内に、ここにひとり、あそこにひとり、
うつむいて、皆スマホの画面をにらんでいるか寝ているか。
電車の走る音だけがうつろに響く。
「子供の頃乗った電車の中は、もっと賑やかだったなあ」と思う。
そして、わたしは窓の外の景色をながめる。
時々、カバンの中から飴を取り出してなめながら。

電車は南へ向かって走る。
山々には雪がほぼなく、景色が春めいて見える。
雪のない日当たりのよい土手にはもう緑が芽吹いているようだ。
ほんの数時間来ただけなのに、わたしが住んでいる場所とは大違いだ…。
ベランダに布団を干している家が見える。
「ああ、冬に干した布団に寝ると、暖かくてお日様の匂いがして、
とても気持ちが良かったっけ…」と思う。
「ほら、今日、布団干したからポカポカよ」という母の声が聞こえた気がして、
不意に泣きそうになった。

「あら、栗ちゃん、新幹線で来なかったの?」
前泊して別の仕事をしていた上司が言った。
「ええ、時間に余裕があったので、鈍行に乗りました」とわたしが答えると、
上司は「そうよね、栗ちゃん、『鉄子』だものね」と笑ったあとすぐ、
「でも、次は止めてね」とちょっと怖い口調で言った。