まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

久しぶりにカウンセリングへ行って

相当久しぶりにカウンセリングを受けに行って来ました。

カウンセラーは還暦を少し過ぎたくらいの年齢の女性です。
ちょっと厳しいことも言うけれど、いつも笑顔でパキッとした雰囲気の先生。
先生のことがわたしは大好きなのです。

「久しぶりね。今日はどうしたの?」
ねえさんから突然連絡があったこと、
腎臓の提供を断ったことなどを説明し、
「でも、心のどこかで『わたしがねえさんに死刑宣告したことになったのでは?』と
いう罪悪感みたいなものもあります」と言ったら、先生が
「あなたの腎臓を上げたって、生着(提供した臓器が定着してちゃんと機能すること)
しないと思うわよ」と言ったので、わたしは驚きました。
「その辺り、内臓を移植するのって、実はとてもデリケートでね。
お互いに大切に思っている家族同士でないと、移植してもすぐ臓器がダメになったりするの。
お互い反発し合ってたりする同士だったりすると、
たとえ兄弟姉妹からの臓器でも拒絶反応がひどくなったりするのよ。
あなた、おねえさんのことが大切?
自分がどうなってもいいからおねえさんを助けたいと心の底から思ったりしてる?
そうじゃないでしょう?そんな気持ちになる訳がないもの。
今みたいな状態で腎臓を仮に提供したとしても、すぐダメになるわよ。」
「そうなんですか?!」と驚くわたしに、先生は
「そう。まあ、良心的な医者じゃないと、こういうことは話さないかもね。
だから、おねえさんはあなたの腎臓が本当に必要なら、
今までのことを必死で謝って、さらに『腎臓欲しさの演技だろう』とあなたが疑う余地がないくらい、
誠心誠意あなたとの関係を一から丁寧に作り直して、
心の底からあなたに『助けてあげたい』と
思ってもらえるようにしてから頼まなくちゃダメってことなの!」と言い、
「ねっ?現実的じゃないでしょう?」と笑いました。
また、先生はこうも言いました。
「仮に移植が上手く行ったとしたって、一生免疫抑制剤を飲み続けることになるでしょう?
それって文字通り『免疫』を『抑制』する薬なのよ。
おねえさんって、もう還暦近い人でしょう?
ガンになる確率は年齢が上がるほど大きくなるわけだけど、『免疫』が『抑制』されてしまうと、
身体の中で日々生まれるがん細胞をやっつける生体システムが弱くなってしまって、
ガンになる可能性が大きくなるわよ。
妹から腎臓をもらって20年、そこから人工透析をしてさらに10年、
合計30年元気で生きられるようになるなんて、単純な足し算じゃないの、身体って。」
さらに、
「やりたいことがまだやれてないっておねえさんは思ってるの?
自分の能力が正当に評価されないまま死にたくないって?
ホントにおねえさんって、いい生き方してないのね。
仕事関係の人たちには栗ちゃんにするみたいにひどいことはしてないでしょうけど、
それでも周囲の人たちには嫌な人間だってことが分かられちゃってるのよ、きっと。
一見、他人といい付き合いかたしているように思えたとしても、実は表面的なものだけで、
ホントのところはいい関係性を人と結べてないんだと思う。
いい生き方して来なかったから、不満で一杯なのよ」
そして「それって一体誰の責任?栗ちゃんの責任だと思う?」と言いました。
「いえ…」とわたしが答えると、先生はひと言ひと言はっきりと、
「そう、そうなったのは、誰の責任でもない、おねえさん、本人の、責任!」
とわたしの目をまっすぐ見ながら言いました。
その言葉に救われた思いがしました。

小さい頃から母と姉に虐待されたせいで、
わたしは心の中がグチャグチャのまま大人になってしまっています。
今まで通っては途中で止め、通ってはまた止め…を繰り返して来たカウンセリングですが、
今度こそ、きちんと通って心の整理を付けようと決めました。
「カタを付ける」とでも言ったらいいのでしょうか。
そう出来たら、多分、少しは自分を大切にしながら生きられるようになるのだと思います。

次回のカウンセリングは来年1月中旬の予定。
それまで先生に出された「宿題」をしつつ過ごすつもりです。