まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

娘は帰って行きました

8月上旬から9月下旬まで、
美大1年生の娘が帰省していました。
夏休み期間は一切課題を出さない、という大学のため、
約2か月間の夏休み、
わたしの仕事が休みの日にいろいろな場所へ出掛けました。
宮沢賢治記念館」とか、機織り体験とか、美術館とか、
国宝になっている神社とか、あとは近所のイ〇ンモールとか・・・。
そして、たくさん、たくさん、話をしました。
娘の好物もいろいろ作って食べさせました。
「せっかく少し痩せたのに、これじゃ太っちゃうよ」
ちょっと怒ったみたいに言いながら、
娘はごはんを美味しそうにパクパク食べました。

8月が終わる頃には
「もっと早く夏休みが過ぎちゃうかと思ったけど、
まだ1か月あるんだなあ」と嬉しそうだった娘が、
9月に入ると時々寂しそうな顔をするようになりました。
そして、「あたしが帰っちゃったら、もうこうやって
くすぐってくれる人もいなくなっちゃうんだよ」
と言いながら脇腹をこちょこちょして来たり、
「お母さんは、子供を膝に乗せるのが大好きなんだよね?」
と言って椅子に座っているわたしの膝にどっかりと座って来たり(!)
するようになりました。

いよいよ戻る準備をしていた時。
休み中に20冊以上も本を買ったりして荷物が増えてしまったため、
宅配便で送るように箱詰め作業をしていたのですが、
「他に持って行きたいものない?
まだ箱に少し余裕があるよ」と言ったわたしに、
娘はこんなことを言ったのです。
「お母さんを一人、送ってください」
そして、ぽろぽろと涙をこぼしました。

出発の日。
朝早く高速バスに乗る娘を見送りに行きました。
座席に着いた娘は、ぷいと向こう側を向いてしまいました。
「ああ、もう泣いちゃってるから、見せまいとしてるんだな」と思いました。
発車時刻になり、ドアが閉まると、娘はこちらを向いて手を振りました。
わたしは精一杯笑顔を作って手を振り返しました。
でも、バスが走り出し、
小さくなっていくバスの後ろに表示されている遠くの町の名前を見た途端、
堰を切ったように涙がこぼれて来て、
早朝のバスターミナルでわたしはしばらくの間泣いてしまったのでした。
バスのあと、2回電車を乗り継ぎ9時間の長旅。
本当に、遠い遠い町へと娘は帰って行きました。