まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

メディアを騒がせている「あの人」は言葉を話していないんだな

ちょっと落ち込むことがあって、
「ポケット詩集」(童話屋刊)を開いた。

ぱらぱらとめくっていて、
今日は茨木のり子さんの詩が
心に深く響いた。

聴く力   茨木のり子

ひとのこころの湖水
その深浅(しんせん)に
立ちどまり耳澄ます
ということがない

風の音に驚いたり
鳥の声に惚(ほう)けたり
ひとり耳そばだてる
そんなしぐさからも遠ざかるばかり

小鳥の会話がわかったせいで
古い樹木の難儀を救い
きれいな娘の病気まで直した民話
「聴耳頭巾」を持っていた うからやから

その末裔(すえ)は我がことのみに無我夢中
舌ばかりほの赤くくるくると空転し
どう言いくるめようか
どう圧倒してやろうか

だが
どうして言葉たり得よう
他(た)のものを じっと
受けとめる力がなければ

     ※うからやから=血のつながった者のこと

茨木さんの1982年の詩集「寸志」に収められたこの詩。
茨木さんの詩には、
読む側が知らず知らずのうちに姿勢を正さずにはいられなくなるような、
静かだけれど凛とした厳しさがある。

それにしても。
「その末裔の~」から始まる第4連は、
このところ連日メディアを賑わせている、
某国の新大統領の言説そのものとしか思えないなあ。
そして、「他のものを じっと 受けとめる力」とは、
彼の人物から微塵も感じられない力だなあ、と
どんよりとした気分になる。

「~砲」と揶揄される彼のツイッター
彼が世界に向けて放っているのは、
やはり「言葉」などというものではないのだ。
彼が演説している様子を見ているといつも、
昔話などで口からヘビやらヒキガエルやら、
汚いものが飛び出す呪いにかけられた人を連想してしまう。

ああいう人が4年にわたって世界の舵を取るのか。
世界のリーダーには
せめて「言葉」が話せるようになってもらいたいものだ。