まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「幸吉は疲れ切っちゃったから今日は走らないんだよ!」と娘は言った

センター試験の少し前の話です。

娘が通う高校では冬休み中も朝から夕方までの講習だけでなく、
ものすごい量の課題が出されていました。
加えて娘は講習終了後アトリエに移動し、
夜まで連日デッサン、デッサン、デッサン。
そんな中、ある朝娘が
「今日は講習にもアトリエにも行きたくない」と言ったのです。
「えっ、どうして?もうセンター試験まで日数がないのに」
と尋ねたわたしに、娘がこんなことを言いました。
「お母さん、いい?
『幸吉』は疲れ切っちゃったから今日は走らないんだよ!」

その言葉を聞いた途端、
わたしは激しい衝撃を受けました。
そして、こう思いました。
「確かに。
本物の『幸吉さん』も、そう言えたなら死なずに済んだのだろうな・・・」。

「幸吉さん」とは、今から50年前に亡くなった、
円谷幸吉さんのことです。
メキシコオリンピックの男子マラソンで3位となった円谷さんは、
東京オリンピックでの金メダルを渇望する周囲からのプレッシャーの中、
「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。」
 で始まる、有名な遺書を残して自死なさいました。
その遺書の中にある一文が
「父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。」
なのです。

あれはもう何年前のことなのでしょう、
子供だったわたしは円谷さんの生涯を描いたドラマを見ました。
本当に真面目で誠実そのものの円谷さんが 精神的にどんどん追い詰められていき、
あの遺書をしたためたあと、頸動脈を自ら切って亡くなられた・・・。
いや、死ななければならない状況に追い込まれて行った・・・。
そのことがドラマを見たわたしの心を、深く激しく傷つけたのです。
わたし自身も、周囲から「もっと肩の力を抜いて生きなさい」
と言われるほど真面目な性格だったため、
円谷さんの「死」が他人事とは思えなかったためだったのでしょう。

そんな訳で、母となったわたしは子供たちに、
「そんなことをしてると、
『幸吉は疲れ切ってしまってもう走れません』になっちゃうよ」
とことあるごとに言い、
決してオーバーワークにならないように、
袋小路に自分自身を追い詰めてしまわないようにと注意していたつもりだったのです。

でも・・・。
ちょっと注意が足りなくなっていたようです。

しかし、わたしが嬉しかったのは、
娘が自分で「疲れ切っちゃったから、今日は走らないんだよ」
と言えたということ。
どんなに周囲から期待されようとも、
自分で「これ以上頑張れない」と思ったら休まなければならないのです。
状況次第ではそこから逃げ出さなければならないことさえあるのです。
たとえ、そこがどんなに大切だったり、
そこに至る道が困難を極めたりしたとしても、です。

電通」の事件の被害者も、
「幸吉は疲れ切っちゃったからもう走らないんだよ!」と言えたら、
亡くならずに済んだかも・・・と思います。
必死で頑張って東大に入り、
必死で頑張って電通に入った・・・。
自分を女手一つで育ててくれたお母さんの期待にも応えなければ・・・。
逃げてはいけない、休んではいけない・・・。
そして、入社からほんの数ヶ月後のクリスマスに、
「幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません」
になってしまわれた・・・。

疲れ切ってしまったら、
「もう走らない」と言っていいんです。
いや、そう言わなくてはならないんです、
自分自身を守るために。
無理を重ねてトップスピードで走り続け、
疲れ切ってしまって壊れてしまってはいけない。
同じ状況で37歳の時に「うつ病」を発症した経験からも、
わたしはそう言い切れます。

当たり前だけれどつい忘れてしまいがちな大切なことを、
娘の言葉で思い出させられた出来事でした。