まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「田舎者!」「アゴ!」「東京もんが!」「触るな、穢れる!」

福島から避難した家庭の子供たちがいじめに遭っていたと、
現在大きな問題になっています。

「学校の対応が良くなかったせいだ」
報道はそればかりを繰り返しています。
確かに、報道を見る限り、学校側の対応は褒められたものではなかったと思います。
しかし、いじめに対応するのは学校だけの役目なのでしょうか?
学校の対応が良くなかったら、
いじめられた子供たちはどうにもならなくなるしかないのでしょうか?

それは「違う」とわたしは考えています。
それどころか、学校にいじめを根本的に解決する力はない、
と実体験から痛感しているのです。

そのことについて、わたしが実際に経験したことから記事にしたいと思います。

タイトルにした「田舎者!」「アゴ!」「東京もんが!」「触るな、穢れる!」。
全部、転校を繰り返す中でうちの子どもたちが投げつけられた言葉です。

「田舎者!」がある一方で「東京もんが!」がある。
おかしな話でしょう?

山形県の海沿いの町で数年暮らしたあと、
わたしたちは東京の目黒区へ引っ越しました。
その時、当時小学校6年生だった長男に投げつけられた言葉が
「田舎者!」や「アゴ!」でした。
数年暮らした町の訛りに「田舎者!」、
歯並びの関係で下あごが若干出ていたことに「アゴ!」、
あとは「田舎者はやっぱり頭が悪いんだな」などと言われたり、
机の中にしまっておいたはずの新品のスティックのりの中身を
グチャグチャにほじくられたこともありました。
小さい頃からとても繊細で自尊心の強い子供だった長男は、
目に見えて暗くなり、部屋に閉じこもりがちになりました。
4歳下の妹の友達が遊びに来ると一緒に遊んでやっていましたが、
自分の友達と遊ぶことは全くないまま、小学校を卒業しました。

目黒区で数年暮らしたあと、
わたしたちは今住んでいる町へ引っ越して来ました。
その時、当時小学校5年生だった長女になげつけられた言葉が
「東京もんが!」「触るな、穢れる!」でした。
東京の学校では「自分の考えを自分の言葉ではっきりと述べる」
ということに力を入れた教育をしていました。
そこで数年過ごした長女は、この町でも当初そのようにしたのだと思います。
途端に、主に男子から「この、東京もんが、生意気だ!」の嵐。
女子からは「東京から来たと思っていい気になっている」と言われ、
娘はクラスの中であっという間に孤立し、爪はじきされるようになりました。
「こんなところに来るんじゃなかった、あのまま東京で暮らしていれば、
こんな目に遭わずに済んだのに・・・」
東京にいた頃は本当に元気いっぱいでイキイキとした女の子だった娘が、
どんどん陰気で引っ込み思案な少女に変わって行きました。
そして、外出するときには「誰かに見られたら、明日学校で悪口を言われる」と言い、
外出そのものを嫌がるようになりました。
娘は「あいつらと一緒の中学へ行くなんて、死んでも嫌だ」と言い、
結局地元の子たちと違う中学校へ進学しました。

・・・どうですか、これが現在の学校の現実です。
もちろん、長男の場合も長女の場合も、
学校へは何度も相談しました。
でも、わたし自身小学校の講師をしていた経験から、
学校にはいじめを解決する力はないことをはじめから知ってもいました。
先生とお話しに行ったのはのは、学校でのうちの子どもたちの様子を確かめるためと
(子供が家庭で見せる顔と、学校で見せる顔とは、全く違うことがよくあるため)、
あとは「こういうことがクラスで起こっている」ということを担任に知らせるためです。
担任の先生の口から出た言葉は、長男の時は
「子供たちは中学受験が迫っていてフラストレーションがたまっていまして・・・。
どうしてもこの時期いじめが起こってしまうんです」であり、
長女の場合は
「お嬢さんみたいに『自分の考えをはっきりと言う女の子』はここにはいないんです。
だから、子供たちはお嬢さんと自分たちとの間に溝を作るんです」でした。

「田舎者」をバカにするのも、
「東京もんが!」と東京から来た、というだけで敵視したりするのも、
そういうことを言ってくる子たちの親の価値観です。
(そういう話を子供から聞いて否定しないのも、間接的にいじめを肯定していることになります)。
学校で先生がいくら「そういうことはいけないことだ」と教えても、
家庭で親がそれを打ち消すようなことをすれば、
子供たちに学校で教えたことが定着する訳がありません。
教師がどんなに頑張ってみたところで、子供たちへの影響力は
      教師<親
なのです、悲しいことに。
ですから、いじめて来るヤツらを根本から学校でどうにか出来るものではないのです。
残念ですが、それが学校教育の限界です。
先生は、スーパーマンではないのですよ。
聖徳太子だって、一度に10人くらいの話しか聞けなかったでしょう?
教室に一体何人の生徒がいると思いますか?

わたしが担任した6年生のクラスでも、いじめがありました。
本当に全力で対処したつもりですが、再発を防げませんでした。
「あなた、一応教育のプロなんでしょう!!!」
いじめを受けた子の親に投げつけられた言葉です。
「あなたみたいな若い女の先生が担任だと聞いて、
今年はハズレくじだとは思ってましたけど」

わたしは自分がいかに無力で無能であるかを思い知らされました。
そして、「自分にはクラスの子40人に24時間目配りし続けるだけの力は無い。
教師になるのは諦めて、自分の子供せいぜい一人か二人を育てるのに
全力を注ぐことにしよう」と決めたのです。

新卒後の1年で講師を辞め、母親になって自分の子供を持ったわたしでしたが、
今度は自分の子供たちが学校でいじめに遭うことになったのでした。

どうやってうちの子供たちがいじめをやり過ごせたのか、
それについては、長くなったので次の記事にしようと思います。