まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

「個人情報保護の壁」の中で・・・。

Eテレで再放送された、東京都立川市にある「大山団地」の番組を見た。

「大山団地」は29棟から成る巨大な都営住宅である。
入居世帯数は1000余、入居者数は4000人以上というマンモスぶり。
しかし、そこでは「向こう三軒両隣」の濃密な人間関係があり、
なんと10年以上にわたって孤独死ゼロが続いて来たというのだ。

15年前、とある女性が自治会長になる前の団地では、
年に4,5人孤独死が出ていたそうだ。
自治会長には亡くなっていた人が確かに団地の住人かどうかを確認する役目があるそうで、
その女性も何度か現場に立ち会ったらしかった。
亡くなってから時間が経過し、目を背けたくなるような有様になった遺体を見て、
「こうなる人を無くさなければ」と痛感し、以来団地の人間関係を再構築すべく奔走したそうだ。
そして、子育てママ支援、サークル活動、季節の催し・・・と策を次々と打ち出し、
孤独死ゼロの団地を実現するに至ったのだが・・・。

そんな団地で13年ぶりに孤独死があった。
都の方針で「大山団地」には重い障害や病気を持った人たちが優先的に入居することとなり、
その方針に従って新たに入居した人が部屋で孤独死したのだった。
その大きな原因となったものが「個人情報保護」。
新たな入居者のあらゆる情報が「個人情報保護」の名の下、
自治会側には一切伝えられなくなっている。
そして、従来通り自治会やご近所さんが接触しようとしても、
その入居者は名前さえ明かそうとしなかった。
ただ「どうせ病気持ちですぐ病院へ行く身だから・・・」と言い、
近所付き合いも一切せず、結局部屋で孤独死してしまったのだった。
女性から自治会長を引き継いだばかりの男性新会長は役員会を招集する。
しかし、効果的な対策は見いだせないまま、会は紛糾する。

「ああ、ここでもそうなのか」と見ていて感じた。
「個人情報保護」と言う名の高い壁。
その中で困窮者が次々と朽ちて行くのだ。
わたしが今関わっている支援の仕事でも、まさしくそう。
「困窮者がいる」ということは聞かされて知っている。
そういう人たちに情報を届けたい、力になりたいと思っても、
困窮者がどこに住んでいる誰なのかは支援する側には一切知らされない。
自治体が郵送する資料に役立ちそうな情報を封入してもらったり、
HPに情報を掲載してもらったり・・・と考え得るあらゆる方法を取っても、
困窮者自身が支援する側と能動的にコンタクトを取ろうとして接触して来なければ、
わたしたちには打つ手が全く無いのである。

「個人情報保護」と「プライバシー保護」の名の下に、
本当に支援を必要としている人たちが支援する側から見えなくなってしまっている。
その一方で、企業の顧客リストなどは情報がダダ漏れなのが現状だ。
時折数百万件分の顧客情報流出、などとニュースになっているが、
実は数十、数百などという小さな単位での情報流出をチェックすることは難しいらしい。
だから、表面化こそしないけれど、ちょろちょろと水が漏れるように、
わたしたちの個人情報は主にネット経由で漏洩してしまっているらしい。

「個人情報保護」って一体何なのだろう。
誰から情報を保護するための決まりなのだろう。
少なくとも、個人の不利益にならないようにするための決まりだったはずなのだが・・・。
実際は「個人情報保護」と言う名の高い高い壁の内側で、
外にその存在を知られることなく朽ちて行く人たちがいるのだ。