まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

トイレで心に栄養を

我が家のトイレの壁には、
長らく世界地図が貼ってあった。
娘がカラーペンで山脈名やら半島名やら書き込んだもの。
それが、ボスボラス海峡のピンクの字が色褪せるくらい長らく貼ってあった。

それだけ長い間そこにあったと言うのに、
肝心の娘はちっとも覚える気がないままで。
かく言うわたしも、「ボスボラス海峡」しか頭に入らず・・・。
そこで、思い立ってトイレの模様替えをすることにした。
地図をはがし、そのあとに貼ってはがせるウォールステッカーを貼ってみた。
社宅のトイレがちょっとだけ洒落た感じになったけれど、
まだスペースがあったので、
さらに思い立って「詩」を書いて貼ってみた。

「からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり」
から始まる、北原白秋の「落葉松」は、
昔々国語の時間に習って以来わたしのお気に入りの詩で。
娘と電車に乗っている時などに落葉松林を見ると、
「からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり」などとつい口ずさんでしまうのだけれど、
驚いたことに、娘は「習ってない、知らない」と言う。
聞けば、最近の国語の教科書には詩があまり載っておらず、
しかも授業では「センター試験に出ないから大事じゃない」と、
ただでさえ数少ない詩がないがしろにされているのだそうで。

なんとなんと。
赤毛のアン」を読んだ時に、
アンがたくさんの詩をそらんじていることに憧れたものだけれど。
高校の時には島崎藤村の「初恋」の暗誦テストもあった。
詩を知ってる人生と、詩を知らない人生と、
大差はないかもしれないけれど、実は豊かさが違うような気がするんだよなあ。

そんな訳で、毎週ひとつずつわたしが独断と偏見で詩を選び、
トイレに貼ることにした。
まあ、毒にはならないでしょう?
誰もがみんな必ず一日に数回は入る場所だし、
一定時間はその場にじっとしてなくちゃならない場所だしね。
そのわずかな時間を利用して、
ほんの少しだけでも心の栄養になればいいかな、と思うのだ。

今日、第2弾を書いた。
これまた大好きな「秋」(上田敏訳詩集「海潮音」より)。
第3弾は何にしようかな~。