まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

言葉の潤滑油が足りないよ

昨日の記事に続きパートの話。

毎晩13、4人の大学生たちがご飯を食べ、
食器を下げて来るのですが、
「ごちそうさまでした」以外の言葉を一度も聞いてません。

単なる皿洗い要員でしかないわたしに何も言わないのは分かるんですよ。
でも、毎晩一生懸命お料理を作っている大家さんにも、
「ごちそうさまでした」以外、ひと言も言わないんです、全員。
まるでATMの「ご利用ありがとうございました」級の、無味乾燥な言葉。

大家さんは時折自宅で料理教室を開いている方。
毎晩学生さんたちに作っているお料理は、
品数は豊富だし、手の込んだものばかりだしで、
わたしは毎晩「す、す、すごい・・・!」とビックリしてばかりなのです。
器も、ファミリーレストランみたいなものではなく、
色や形、素材なども様々(だから片付けるのはちょっと大変)なものばかりで、
そこに凝ったお料理が美しく盛り付けられています。
でも、誰も、何も言わない。
「今晩のは特に美味しかったです」とも、
「ごめんなさい、ちょっと苦手だったので残してしまいました」とも、
何にも言わずに、判で押したみたいに全員「ごちそうさまでした」。

実はリューマチ持ちで、冬になると水仕事が苦痛なの・・・とこぼしている大家さんは、
毎晩片付けが終わったあと、業務用の巨大な冷蔵庫の食料を確かめながら、
「ああ、明日、何作ろうっかなあ。
何か、アイディアも湧いて来なくなっちゃったって言うか、
考えるの、面倒になって来ちゃったのよねえ・・・」とため息をついているのです。

うーん、もったいない、実にもったいない。
たったひと言、「とても美味しかったです」と誰か一人でも言う子がいたなら、
大家さんも「もっと美味しいもの作って喜ばせよう」という気持ちになると思うのです。
リューマチ持ちなのは変わらなくても、毎日の仕事に張り合いや喜びが生まれると思うのです。
たったひと言で、いろんなものが上手く回り出すのになあ。
本当にもったいないことだと思います。

「言葉の潤滑油」とでも呼んだらいいでしょうか。
パート先だけじゃなく、世間を見ているととにかく足りてない気がします。
嬉しい、美味しい、楽しい、有り難い・・・。
誰かと関わったことで、自分の中にそう言うプラスの気持ちが生まれたら、
相手にそのとおり素直に伝えた方がいいんじゃないのかな。
そうすれば、相手だって嬉しい気持ちになるでしょうし、
嬉しい気持ちで過ごす一日は、いつもよりちょっとだけ幸せな一日になるんじゃないのかな。
幸せな気持ちで過ごす人が増えれば、世の中ももう少しギスギスしなくなるんじゃないのかな。
そう思って、わたしはプラスの気持ちは素直に相手に伝えることにしています。
あとで娘から「お母さん、ヘンな人みたいだよ、あれじゃ」と嫌がられることもあるけれど、
「ごめーん、お母さん、発達障害だから、実際ヘンな人なのよ」と開き直って。