まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

喜ば(べ)ない

ボランティア仲間のTさんは、わたしの一番の仲良しさん。

そのTさんのお嬢さんが、もうすぐ初めての赤ちゃんを産む予定で。
いつまで経っても少女のままみたいなTさんが、なんと「おばあちゃん」になると言うので、
ボランティア仲間はビックリしたり喜んだり。

そのTさんが今日言ってたこと。
「赤ちゃんが出来た、なんて、とってもおめでたいことだから、
娘から連絡があってすぐ、親戚中に連絡したのね、わたし。
そしたら、娘に
『もし、途中で何かあって結局無事に生まれなかったりしたら、
一体どうするつもりなの?
他の人に教えるのはもっと後からにすべきだし、
そんなに誰にでもベラベラ話すべきじゃないよ。
お母さんって、いちいちどうしてそんなに考えなしなの?』って、
ものすごい剣幕で怒られちゃってね。
昔は赤ちゃんが出来た、なんて言ったらひたすら『めでたい、めでたい』って感じだったでしょ?
なんか、ものすごく冷静だって言うか、自分の娘ながら、
ジェネレーションギャップみたいなものをひしひしと感じちゃった」

その他にも、Tさんが精を付けさせたいと思って作った娘さんの好物(カキフライとか)も、
「これは妊婦は食べちゃダメなものなの」と言って手を付けてもらえなかったとか、
「ずーっと昔っから、一度お母さんに言いたいと思ってたんだけど」という前置きのあと、
小さかったころからの「お母さんに言われたりされたりしてイヤだったこと、心外だったこと」
をズラズラと列挙して責められちゃったとか、
「主婦としての至らなさ」をまるで小姑みたいにネチネチされちゃったりとか、
Tさん曰く「なんかね、もうすぐ赤ちゃんが生まれるって言うのに、ちっとも嬉しそうじゃないの」。
話を聞きながらみんなで「うーん・・・」と考え込んでしまった。

何事も喜ばない(喜べない)。
今どきの若い人たちに共通していることかも知れない。
例えば、赤ちゃんが出来た、と聞いて連想することは、
「子供ってお金がかかるんだよね?うちの収入で大丈夫なんだろうか?」
そして、若い主婦向けの雑誌なんかによく載っている
「子供二人と夫婦家庭の生活費シミュレーション」を見て、
「ムリ、ムリ、ムリ、子供ってこんなにお金かかるの?!
とても二人なんかムリ!」
ってな具合にまだ一人目も生まれていないうちからため息ばかりついちゃう。
無事生まれた後も、病気に、進学に、習い事に、就職に、結婚に・・・と、
不安ばかりあおるような情報の海であっぷあっぷ、
子供が生まれたことを喜べなくなってしまっているような気がするのだ。
なぜなのか、一事が万事、こういう考え方をしてしまう。
「転ばぬ先の杖」どころか、いろいろ考えた挙げ句結論は「ムリムリムリ」、
どうせ転ぶくらいなら、歩かない方がマシ!という結論に落ち着いてしまうように思う。

なんだかなあ・・・。
手放しで喜ぶ!
何も考えずに楽しむ!
そういう無邪気さ、みたいなものが無くなっていってる気がするんだけどなあ。