まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

認知症高齢者と自動車~うちの場合~

認知症高齢者が運転する軽自動車が歩道を暴走、
死傷者7名を出した鹿児島の事故。
不幸にも巻き込まれ、亡くなられたお二人のご冥福をお祈りします。
お二人のご家族の心中を思うと・・・。

でも、同時に運転していた高齢者のご家族の心中を思うとき、
同じく身内に認知症高齢者がいる身としては、
「家族は一体何をやっていたんだ!」と責める気持ちにはなれないのです。

我が家の場合も大変でしたから。

昨年6月、「中等度のアルツハイマー認知症」と診断されたその場で、
主治医は義父に「車の運転はもうしてはいけません」と言いました。
そして、カルテに運転を禁止した旨を記載したため、
万が一義父が車を運転して事故を起こした場合、
過失が重くなるので絶対に運転させないように、
と付き添いのわたしたち家族にも厳命したのです。

義父と義母は二人とも教師でしたから、
年金はかなりの額をもらっていて生活に余裕があります。
しかも、義父は退職後も工務店を経営していたので、
免許を返納しても、必要な時にはタクシーに乗るお金くらい、
どうにでもなるはずなのです。
そんな訳で、夫もわたしも義父が医師の言葉に従って、
すぐ運転を止めるはずだと思っていました。

ところが、話はそう簡単ではありませんでした。
義父は「俺は無事故無違反で何十年も運転して来た。
気を付ければこんな田舎なんだから大丈夫だ」。
義母も「じいちゃんから車を取り上げたら、もっとボケてしまう。
わたしが助手席に乗って気を付けてれば大丈夫なんだから、
ボケが進まないようにするためにも、運転は続けさせたい」。
夫が「事故を起こすかも、と思って起こす人はいない。
自分は大丈夫、と思いながら起こすもんだろう。
医者に言われたことを忘れたのか?
万が一の場合、過失が重くなって損害賠償請求されるんだぞ。
二人分の貯金も工務店も、全部パーになるかもしれないんだぞ」といくら説得しても、
義父はもとより義母さえも、全く聞く耳を持ちませんでした。
それどころか、メマリーが魔法のようによく効いていたいた時期など、
義母は義父に
「こんなに良くなったんだから、
医者に頼んだらもう一度運転してもいいって言ってもらえるかもしれない。
この次、またもの忘れ検査(長谷川式スケールのこと)してもらおう」
などと無責任なことを言い続けたのです。

夫と義父母は車の運転に関して毎回押し問答を繰り返したようでしたが、
結局夫が実家から車のカギを持ち帰り、
同時に知り合いの鈑金屋さんに頼んで車の廃車手続きを取りました。
そうやって物理的に運転出来ないようにしたのです。

ところが、これで一件落着ではありませんでした。
お金はあっても使うのを非常に嫌がる義父母は、
必要があってもタクシーを使おうとしませんでした。
それだけでなく、認知症による人格の変化で被害妄想的な色彩を濃くしていた義父は、
認知症になったから運転を止めなければならなくなった、ではなく、
運転を止めさせられたから認知症になった、という風に歪んだ理解をしたのです。
「息子に車を取り上げられたから、俺の頭はおかしくなったんだ!」
そんなことを叫びながら暴れたりもするようになりました。
実際問題として、それまではほぼ毎日車で近所のショッピングモールへ行き、
いろいろな店で昼食を摂るのが唯一の楽しみだった義父は楽しみを失くし、
確かにどんどんと認知症が進行して行きました。
また、自分の変化にイライラしがちになった義父は深酒するようになり、
もとからのDVが激化し、結局9月下旬の医療保護入院を招くことにもなりました。

「あそこでお前が車さえ取り上げなかったら・・・」
今でも義母は、時々夫に恨みがましくそう言うそうです。
でも、今回の鹿児島の事故にように「万が一」が起こってしまったら、
家族を待っているのは地獄なのです。
「俺は、あれはベストの対応だったと今でも思ってる。
年寄りは『万が一』が考えられなくなってるんだからな」
夫はそんな風に言っています。