まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

Sさんのこと

朝、起きて来た夫が、
「午前1時半頃、Sさんから電話が来てさ。
何だかベロンベロンに酔ってるみたいな口調で、
『お前が出世するのを俺は楽しみにしてるぞ』てなことを、
繰り返し繰り返し言ってた」。
それから、夫はちょっと心配そうな口調で、
「昨日の日中、忙しい時間帯にもSさんから電話があったんだ、
『しっかりやってるか、俺はお前の出世を楽しみにしてるんだからな』
って」
「もしかして、Sさん・・・?」
「俺もそう思った」
「同じような電話がまたあったら、奥さんに知らせた方がいいかもしれないね。
新しい奥さんがやってるお店の電話、知ってるんでしょう?」
「ああ。それにしてもなあ・・・」
そして、わたしたちはしばし無言になってしまった。

Sさんは、新人時代の夫の上司だった方で、
25年前、わたしたちの結婚にあたって仲人をして下さった方だ。
(もちろん、夫とわたしとは大学時代のクラスメイトなので、
あくまでも形式上のお仲人さんだった)
仲人を引き受けてくださることになり、Sさんのお宅に挨拶に伺ったわたしは、
初めてお目にかかったSさんという人物に心底驚いた。
「俺が居なければ、うちの会社の将来はない。
俺がうちの会社を背負って立ってるんだから」
ヒョロヒョロと背が高く、鼻が異様なくらい高くて、
まるで「赤ら顔のピノキオ人形」みたいな体のSさんは、
そういう強気な発言を繰り返した。
そして、夫に向かって、
「俺に付いて来ればお前も安泰だから。
まあ、大船に乗った気持ちで、ただ俺に付いてくればそれでいい。
いやあ、お嬢さん、あなたは実にラッキーだ。
あなたのダンナになる男には、このわたしが付いているんですからな」
そして、「ハハハハハ」と高笑いした。
(こいつしか、仲人を頼める人材が居なかったのか?
こんな嫌なヤツに仲人を頼むなんて、ホントなら今すぐご免被りたいとこなのに!)
そのうち、Sさんの奥さんがお茶とお菓子を出しにいらした。
「こちらがSさんの奥さまですか。いつもお世話になっておりまして。
その上、この度は面倒臭いお願いにも関わらず、
快くお引受け下さいましたこと、心より感謝しております」
夫が平身低頭してそう言うと、Sさんがこんなことを言った。
「いやいや、こいつにそんな過分な言葉は無用だから。
こいつは頭も悪いし、見た目もこんなだから、とても恥ずかしくて家の外には出せないようなヤツで。
だから、こいつには一度も外で仕事させたことがないんですよ、ハハハハハ」」
びっくり仰天して恐る恐る奥さんの顔を探り見ると、奥さんはお盆を持ったまま、
うつむいて黙っていた。
「ハハハハハ、ハハハハハ」
何が面白いのか、高笑いを繰り返すSさん。
傲岸、不遜、尊大、自意識過剰、ナルシスト・・・どれもしっくり来ない、
しかし、明らかに唾棄すべき類の輩であることだけはすぐ分かった。
わたしは、木彫りのピノキオ人形そっくなSさんに、心の中で
「とんでもない大バカ野郎」という二度と剥がせないレッテルをペッタリと貼り付けた。

結婚後3年間は一応礼儀として盆暮れに挨拶の品は送った。
(礼儀作法に非常にうるさかったわたしの母は、亡くなるまでちゃんと送り続けていた)
しかし、その後は数年間賀状を送るだけになり、それもすぐ止めた。
夫もSさんも転勤し、職場も所属も全く別になったため、噂も聞かなくなっていたある日。
「いやいや、Sさん、とうとう奥さんに三行半たたきつけられたらしい」
わたしたちが結婚した当時、中学生だったお嬢さんが成人するのを待って、
奥さんは家を出て行ったという話だった。
「ふーん、身から出たサビってヤツだね。
ところで、ずーっと噂も聞かなかったけど、Sさんは実際、会社を背負って立ってるの?」
「それが、出世コースから完全に外れちゃったらしくてさ。
背負って立つ、どころか完全に閑職に追いやられてるらしいよ」
「『驕る平家は久しからず』だね、あの時は大層な鼻息だったのに」
さらにそれから数年後、Sさんは早期退職の募集に応じ、
定年を待たずに会社を去った。
そして、小さな町の駅裏にある、小料理屋の女将さんと再婚した、という話までは聞いていた。

Sさんからの妙な電話の話を聞いて、わたしと夫との脳裏をよぎったものは、
認知症」だ。
恐ろしいほどの自信家だったSさん、あれからの25年間は挫折と屈辱の日々だっただろう。
わたしが勝手に考えている「認知症」の原因の一つは、
「耐え難いほどの○○」で。
耐え難いほどの孤独、耐え難いほどの恐怖、そして耐え難いほどの屈辱・・・。
そう言ったもので心が壊れてしまうのを防ぐため、
防御の最終手段としてリミッターが外れた結果、
認知症」になる人もいるような気がしている。
(わたしの母も、義理の父も、このような原因で「認知症」になったと思っている)
あの頃のSさんと、その後の尾羽打ち枯らしたSさんとのことを考えると、
認知症」になるのもむべなるかな、という気もする。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ・・・。

翻って、わたしはどうだろう、驕り高ぶったりしてないかな、
そもそも、驕ったり出来るような点がないんだから、それは大丈夫かな。
それでも、日々反省、考察、修正、そして漸進。
周りの人たちも、わたし自身も、笑顔でいられるようにジリジリと進んで行けたら。

それにしても人の世の25年って・・・短いようで長いんだなあ。