まだまだいなかのねずみ

日本の片隅で妻・母・非正規雇用者している栗ようかんの思索と日常

義父は着陸態勢に入りました

ケアマネのMさんと話して確認した共通認識。

義父の人生は飛行機で言うと着陸態勢に入った、と。
もう車輪も出ちゃったかもしれない、
あとは如何にソフトランディングさせるかだけに心を砕くべきだよね、と。
(ちなみに、義母は今の状態からでも、
ジェットエンジンの出力を上げさせればまた上昇させられると思っている)

支離滅裂な話でもいい。
「聞いてもらえた」という満足感、安心感だけが残れば。
わたしが誰なのか分からなくてもいい。
話す間、楽しさや嬉しさが感じられれば。

一事が万事、そう。
整合性とか、妥当性だとか、正確性だとか、
もうそういうものさしで義父を測ってはいけないのだ。
不安や苦しみ、痛みや恨みと言ったようなものを軽やかに脱ぎ捨て、
たとえ正体が見えなくても明るい気持ちでいっぱいになれるように、
ただそれだけに腐心すべきなのだ。

そして、最期の瞬間に、
義父が痛みや苦しみや不安とは無縁な状態で、
スーッと着陸出来たら。
それこそが、100点満点のパーフェクトな人生の幕切れではないだろうか。